転勤を命じられた後輩に贈る言葉。

入社以来4年間くらいずっとすぐそばの座席に座っていた後輩の女の子Tが、突然会社から大阪勤務を言い渡された。
娘のように可愛がっていたので、送別会とは別に、一緒に晩ごはんを食べようと誘い、周りの同僚や後輩も誘って、みんなでirodoriに行った。
T「本当は、ただしさん(実際には僕の姓)の家で手料理を食べたかったんです」
そんなことを言うのは、Tが僕にとてもなついてくれている証だ。アメリカ人の彼氏が出来て、サンフランシスコにいることも、会社の中では僕以外に言っていないという。
会社勤めをしている限り、転勤はやむをえない。
でも、慣れ親しんだ東京を離れて、大阪という知らない町に行くことは、Tにとっても不安なことだろう。それに、突然の支社行きを命じられたことによって、自尊心が少なからず傷ついたのではないかと心配もあったのだ。
みんなは、irodoriの料理がとても気に入ってくれたようで、出てくる料理出てくる料理、どれも驚きながら美味しそうに食べてくれていた。お酒が入って終盤、Tに話しかけた。
僕「大阪に行ったとしても、何も心配することないからね。
人生、幸せな人がいちばんだから。
どんなに仕事で忙しい時であっても、いつもたいせつにしなければいけないことは、自分自身のこととパートナーや家族だから。
自分の愛する人たちがいて、自分を愛してくれる人たちがいて、幸せを感じることが出来る。それが一番たいせつなことだから。
Tが、この先いったいどこに行こうと、それは別に問題ではないんだよ。
これから先もそうだけど、『塞翁が馬』の話のように、一見良くないように見える道でも、それを過ぎた時に、次に繋がっていたのだときっと思えるから、何も心配することはないからね…」
T「みなさん、仕事がんばってねとか、いい仕事しろとか、そんなことばっかり言われたんです…でも、ただしさんだけ、言うことがみんなと全然違ってるから…」
そんな風に話しながら、Tの頬から涙がポロポロとこぼれ落ちた。
僕は、Tが仕事で才能を発揮することなんかよりも、Tがこれから先、どこへ行き、何があったとしても、Tには愛する人がいて、周りの人たちに愛されていることだけを願っている。

さようなら、思い出のアルバム。

僕には、ずっと長い間、開けることが出来ずにいた思い出のアルバムがある。
それは、僕が29歳から39歳までの10年間をつきあったNとの思い出のアルバム。世界各国、日本のいたるところに旅行をしたので、大きな段ボール一箱分に写真が詰まっていた。(その頃は、スマホの時代ではなかったので、デジカメで撮った写真を引き延ばして、大切にアルバムにしまっていたのだ)
Nとは、沢山話し合った後に、別れることになり、その後、Nとは敢えて会わないようになり数年が過ぎた後に、Nは一昨年、帰らぬ人となったのだった。
Nとの10年間は、沢山ケンカもしたし、散々泣かされたこともあったのだけど、僕の人生の中で、間違いなく一番幸福な10年間だったのだと思う。
今回この家に引っ越しする時に、このアルバム一箱をいったいどうしたものかと、整理整頓の本を書いている友人に相談したのだった。
すると、「彼との一番思い出深い写真を一枚か数枚残して、あとはすべて捨ててしまうように」というアドバイスをもらった。
それでも、いざ段ボールを見ると、Nとはもはや会うことが出来なくなってしまった上に、僕たちの幸福だった10年間が何もかもなくなってしまうような気がして、どうしても捨てることが出来ずに玄関に置いたままになっていたのだった。
この家に引っ越して半年が過ぎるというのに、一向に玄関の大きな段ボールだけが手つかずのまま、Kは僕の心を察してか、その段ボールには触れずにいた。
そして先日、久しぶりに和歌山に行き、Nのお墓参りを済ませ、僕もようやく決心がついたのだった。
「Nとの思い出のアルバムを、手放そう」
僕が段ボールを開けて、アルバムを開くと、きっと泣き出してしまいそうだったので、Kに頼んで、アルバムを1つ1つ外して、捨ててもらうようにお願いした。
Kは、僕のいない時を見計らって、1つ1つのアルバムを分けて、気づいたら僕の目に触れぬように、処分する袋に入って玄関の外に置いてあった。
そうやって、そのアルバムを、ようやく僕は手放すことが出来たのだ。
僕とNとの幸福だった日々を、誰かに証明するものは、もうなくなってしまったのだけれども、世界中の様々な町で体験した思い出は、いつまでも僕の中にある。

太陽に恋するナスタチューム。

まあるい可愛い葉っぱに、鮮やかなオレンジや黄色の花が咲くナスタチュームがたまらなく好きだ。
東京だと、桜が咲く頃から花屋さんに出回るけど、ナスタチュームは太陽が大好きな植物。その鮮やかな花は、ピリッとした辛味を含み、食べることも出来るハーブの一種。
バラが終わり、しっとりとした梅雨の季節であっても、ベランダに明るさが欲しくて、ナスタチュームを買った。
夏のはじまりを思わせる鮮やかな花を眺めつつ、今年の夏は、どこに旅行に行けるだろうかと考えている。
目指せ、石垣島!

バス停のおじさん。

渋谷駅のバス停に、おじさんはいる。
時々、渋谷の駅から、家に向かって明治通りを走る池86番のバスに乗る時に、そのおじさんはバス停でガードマンのようなことをしている。
おじさんと言っても、年は55歳くらいから定年後の65歳の間だろうか。ガードマンのようなと書いたのは、おじさんは半ば、ガイドなような案内役もつとめているからだ。
渋谷と池袋を繋ぐ池86番のバスは、昔、副都心線がなかった頃は、山手線と平行に走る線で、僕のようなJR嫌いの東京人にとってはとても乗車頻度の高いバスだった。
副都心線ができた後に、本数もかなり減ったようだけど、今でもこのバスは、原宿を通って渋谷に行く便利な路線で、乗客数もとても多い。
その日も、家に帰ろうかと思い、地下鉄をやめてバス停に向かうと、おじさんがいて、ニコニコ笑顔で僕に話しかけてきた。
「次のバスは59分発になります。今は二駅前にいるので、こちらに来るのはギリギリになります」
制服を着たおじさんは、そんなアナウンスをするのは恐らく自分の仕事ではなくて、バスが来た時に、停まっている車に声をかけてどかしたり、交通渋滞を避けるためのガードマンなのだろうけど、このおじさんは、他のガードマンの人とはちょっと違うのだ。
いつもここからバスに乗っているのか、おばあさんも自然におじさんに話しかける。
「なかなか来ないわねぇ…遅れているのかしら…」
おじさんは、そんなおばあさんにもやさしく答えていた。
「今、二駅前を出たところです。間も無く到着しますよ」
それは、他のバス停では、二駅前のサインが出るところもあるのだけど、おじさんに答えてもらったおばあさんは、何かそのあともおじさんと立ち話をしていた。
時々、僕が今、この地球で生きていることは、果たして、誰かのためになっているのだろうか…と思うことがある。
忙しいようで、なんとなく過ごしている毎日は、もしかしたら誰の役にも立っていないのではないのかと。
渋谷駅のバス停のおじさんは、誰かのためになっている。
その笑顔と、温かな心配りを目にすると、そんなおじさんがとても素敵に見えるのだ。

都会に暮らす小さな獣。

20年くらいこの外苑前近辺で暮らしていて、知らなかったことがある。
先日、夕方にKとふたりで買い物をして家に帰る途中、民家の並ぶ細い通りを歩いていた時に、ほんの5メートルくらい先を小さな動物が道を横切って行って家と家の間の草むらに消えた。
驚いたのは、それが、大きなネズミでもなく、猫でもなかったからだ。
その動物には、長い尻尾があったのだけど、その尻尾は、猫のように細くはなく、長くて違うカタチをしていたのだ。
「なに今の? イタチ? たぬき?・・・?」
Kも僕もはじめて見たことのない動物を、何者か断定することが出来なかった。
家に帰って、ネットで調べるうちに、それは、イタチでもたぬきでもなく、『ハクビシン』という動物だということがわかって来た。
ハクビシンは、たぬきに似ているけれども、電線の上を歩くことも出来るようだ。
どうやらハクビシンは、この東京の真ん中でも様々な地域で目撃されていて、その後、周りの人に聞いたところ、赤坂の氷川神社にもいるとか、四谷駅などでも、駅のホームから見える下の草むらのところに沢山いるらしい。
アライグマであれば外来種なので、在来種を脅かすということですぐに捕獲しなくてはいけないようなのだけど、ハクビシンは、在来種とも外来種ともされていないようで、結果的に東京中で大量に増殖しているのではないかと言われている。
野生の動物だからと言って、特別獰猛とは書かれていないのだけれども、犬や猫と同じように、身の危険を感じたら、じぶんの間を守るために獰猛になることはあるのかもしれない。
明治神宮前に、外苑の森、青山墓地、代々木公園、赤坂御所…緑の多いこの地域であれば、こんな小さな獣がいてもおかしくはないのだけど、長く住んでいてはじめて目撃して、ちょっと驚いたのだ。
人間はいつも、まるで自分たちの世界で暮らす動物のように思ってしまうけど、ハクビシンからしたらきっと、彼らの世界で暮らす人間であるに過ぎないのだろう。

irodori 2nd Anniversary!

irodoriが2周年を迎え、パーティーが行われた。
どんなセクシュアリティの人であっても、年齢も人種も障害も関係なく、みんなが楽しめるお店。そんなお店になったらいいなあと、みんなで始めたレストラン『irodori』。
2年が過ぎて、ここへ集まったお客さんたちを見ながら、とても幸福な気持ちになった。
2年の間に、結婚したカップルがいたり、恋人が出来た友人がいたり、子どもを身ごもった友人カップルがいた。
神二ファミリーは、増え続け、少しずつ拡大していっている。
irodori のいいところは、このお店に人が自然に吸い寄せられ、ここに集まる人たちに交わるうちに、その人が少しずつ変わっていくところだろうか。
それぞれの視野が広くなり、より弱者にも目がいくようになる。自分とは違う人たちがいることを知り、受け入れ、他者を思いやり想像する力を身につける。
笑顔に包まれた、てんでバラバラの個性あふれるお客さんたちを見ながら、なんて素敵なお店なのだろう…と思わずにはいられなかった。
3年目のirodoriも、どうぞよろしくお願いいたします。
★irodori https://www.facebook.com/jingumae.irodori/

ひとりの週末。

Kが、加藤ミリヤのコンサートに行くために金曜日から名古屋に行ってしまい、2ヶ月ぶりくらいでひとりで過ごす週末になった。
僕は、鬼嫁のいないうちに思いっきり羽を伸ばそうと、金曜日の夕方からワクワクしていたのだ。
◎ご飯作りから解放されて、ひとりで久しぶりに外食三昧をしよう…。
◎ひとりで二丁目のバーに飲みに行き、のんびりお酒を飲み遅くまで楽しもう…。
◎朝ごはんも作らず、遅くまで寝ていよう…。
◎好きな映画を、ひとりで思う存分に観よう…。
◎家でのんびりと昼寝をしよう…。
映画は素晴らしかった。でも、映画を見終わって、感想を話し合う人がいなかった。
飲みに出たのだけど、あまりお酒も美味しくないし、友達にも会えず、結局10:30頃には眠くなって帰路に着いた。
料理をしないと決めていたのに、帰ってくるKが喜んでくれるかと、結局ボロネーゼを大量に仕込むことに…。
結局この週末を通してわかったことは、僕はもう、以前のようなのんきなひとりの暮らしには戻れないということだった。
何をしていてもKのことを考えてしまうし、ひとりで食べる食事は、もはや美味しいものではなかったのだ。
僕たちは、ふたりで暮らし始めて、もう、ひとりではなくなってしまったのだろう。
Kがたとえ名古屋に行こうとも、僕の身体の一部のようになり、いつでもそばに感じられるようになってしまったのだ。

noma 世界を変える料理

コペンハーゲンにあるレストラン『noma』は、英国のレストラン紙が選ぶ『世界ベストレストラン50』第1位に輝いたお店。北欧料理という今までなかったジャンルを創造し、世界に認めさせた『レネ・レゼピ』という天才シェフの素顔に迫るドキュメンタリー。
昨年、コペンハーゲンを訪れた際に、行きたいと思っていたのだけど、突然の旅行だったので予約が叶わなかったレストラン『noma』。世界一の王座に4度も輝いたレストランとは、いったいどんな料理を供するのだろうか?
映画は、レネに4年間密着して、レネの生い立ちからお父さんお母さん、奥さんや子どもたち、スタッフ、食材の生産者・・・ゆっくりとレネというカリスマシェフの素顔を追いかけてゆく。
世界一の料理は、いったいどんな素材を取り寄せ、使用しているのか・・・今まで僕は勝手に、世界中から最高の食材を取り寄せて、趣向を凝らした料理を創作しているに違いないと思っていたのだけど、それが、完全に裏切られてしまったのだった。
レネの使う食材は、そのほとんどすべてが、デンマークかその周りのスカンジナビア産のものに拘っていたのだ。そのため、極上のイタリア産のオリーブオイルを使うこともないし、季節外れのスペインの野菜を使うこともない。
地元の漁師や農家、キノコ採集師から直接食材を買い付けて、その季節、その土地ならではの一期一会の料理を作り上げてゆく姿は、時に厳しく何か神聖なものを感じさせる。
僕は料理が好きなので、この映画を思いっきり楽しむことができたのだけど、もし料理に興味がなかったとしても、必ず楽しむことが出来る素晴らしいドキュメンタリー映画だと思う。
それはなぜなら、世界一という偉業をなし得た人が、物事に対してどういう姿勢で向き合い、人に対してどんな風に接し、家族とどんな風に暮らしているのかを垣間見ることが出来たから。
この映画を見た後は、自分の生き方をもう一度考え直させるような、そんな影響力を持った素晴らしい作品。
★noma 世界を変える料理http://www.noma-movie.com

金券ショップの謎。

Kが名古屋に行くので、金券ショップで新幹線チケットを見てきてくれと言われて、あまり買ったことはないのだけど、会社近くの新橋の金券ショップを覗いてみた。
お店の前を通りかかると、どの店も全く同じ料金で売りに出されているように見えた。
〈定価〉東京⇄名古屋 ¥11900
〈金券〉東京⇄名古屋 ¥10300(※片道790円得)
普段利用もしなかったのでそんなものなのかと思いながら、最後に新橋の駅前の金券ショップがたくさん入っているニュー新橋ビルに寄ってみた。
「名古屋まで新幹線のチケット、おいくらですか?」
すると、レジの前でパソコンのようなものを弾き出し、金額がジャン!と出た。
「9690円です」
他は当たらずに、ここで買ったのだけど、これって、
★片道1940円、往復3880円もお得ではないか…。
いったいどういう仕組みで、金券ショップの中でも値段の違いがつけられるのかわからないのだけど、3880円も安いチケットを買えたと伝えると、Kは狂喜して喜んでくれた。笑

ふたりで暮らすこと。4

はじめて僕が大分でKに会って、Kの車でドライブした時に、車の中でかかっていたのは浜崎あゆみだった。
僕は浜崎あゆみをはじめて聞きながら、これから先、僕がKとつきあってゆくことになったら、いつも浜崎あゆみを聞かされることになるのかな…と不安に思ったのを覚えている。
僕は、今はほとんど洋楽しか聞かない。洋楽といっても、テイラースィフトもガガもアデルも聞かないのだけど、邦楽は、ほんの少し持っていたものも、先日の引っ越しですべて売り払ってしまった。
Kは東京に来てから、そんな僕の暮らしを壊さないようにと思ったのか、何も自分の主張をすることなく、僕の音楽だけを一緒に聞いていた。
それはたとえば、ウディ・アレンの映画音楽だったり、シナトラだったり、ニーナシモンだったり、ボサノバだったりしたのだけど、考えてみたらKの好きな音楽は、何もそこには含まれていなかったのだ・・・。
先日家に帰ると、ソファの上にCDが置いてあった。僕がいない時にKが聴いているのだろう。それは誰かが焼いてくれたCDのようで、『加藤ミリヤ』と書いてあった。
Kは、この週末に名古屋で行われる加藤ミリヤのコンンサートに大分の女友達と一緒に行くことになっていて、そのコンサートに向けて新譜を聞きながら準備をしていたのだ。
僕は、Kとご飯を作りながら、そのCDをかけてみた。僕にとっては不思議な音楽に感じたのだけど、Kは、僕がどう思っているのか、僕の表情をじっと覗き込んでいた。
夜、シャワーから上がったら、遠くで変な歌を口ずさんでいるのが聞こえた。
それは、音がどこか外れているようでいて、ところどころ盛り上がって大きくなったり、言葉が曖昧になったり・・・。
変な歌声だなあ・・・と思いながら寝室に行くと、ベッドの上でKが、ヘッドホンをはめたまま、スマホを見ながら歌を唄っていたのだった。
僕は大笑いして、「何唄ってるの?」と聞くと、Kは笑いながらとても大きな声で、「加藤ミリヤ」と答えた。
僕たちは、そんなKの歌を聴きながらふたりで笑った。
音程のずれたところどころ大きくなった変な歌を聞きながら何回も笑ったのだ。
誰かと一緒に暮らすということは、今まで自分が聞こうとも思わなかった音楽を聞くことでもある。
でもそれは、そんなに悪いことではなかった。