お墓参り。

週末、金曜日はMのお母さんのお通夜、土曜日は元恋人のお墓参り、日曜日は、義父の病死した前妻のお墓参りという、はからずとも死者を弔う三日間だった。
よく晴れた日曜日、母の家に向かった。
母は、僕が高校の時に父と離婚をして、その後、僕が働きはじめてから今の義父と再婚をした。子どものいない義父は、最初は抵抗があったであろうが、日頃から僕と兄を気遣い、自分の子どものように見守りながら、少しずつ距離を縮めてきたのだ。
お墓は穏やかな高台にあり、鳥がさえずり鳴いていた。お墓参りののち、義父は苑内を案内しながら、最後に無縁仏のあつまる大きなお墓の前に来た。
「ただしさん、ただしさんの後に、もし誰もお墓を見守る人がいなくなった時に、私たちをこの無縁仏のところに移してくださいね」
義父は、僕がもう女性とは結婚しないであろうことを勘づいていたのだ。
子どもの頃は、お墓参りが嫌いで、祖母が朝から張り切っているのを横目に見ながら、こないだ行ったばかりなのに、なんでまた誰もいないお墓なんかに行くのだろう・・・と疑問に思ったものだった。
やがて年を重ね、自分の周りのたいせつな人を亡くすようになってから、やっとお墓参りの意味が少しずつわかりはじめてきた。
自分にとってたいせつな人は、亡くなったからといって自分の中から完全にいなくなるわけではないのだ。むしろ、自分の中に静かに留まり、いつもそばにいるような気さえする。
お墓参りは、そんなたいせつな人に思いを馳せ、自分の今の人生を報告するような、そんなことだったのだ。

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