Nに会いに、和歌山へ。

Nは、僕が29歳の時から10年間つきあった人。(このブログではMと書いていることもあるが、それは僕が彼のことを姓で呼ぶ時と名前で呼ぶ時があったから)。一昨年亡くなって、昨年の春にその事実を知ったのだった。
それ以来、桜が咲く頃の彼の命日の近辺に、和歌山にお墓参りに来ようと思っていたのだけど、今年も東京レインボープライドの忙しさに延ばし延ばしになっていて、実は再来週末に和歌山に来ることを決めていたのだ。
先日ここにも書いたのだけど、僕とKが家で寝ている時に、Kが、僕の枕元に立つパジャマを着た男の人を見たこともあり、それがNなのかはわからないのだけど、なるべく早く来たいと思っていた。そこへ、Mのお母さんが旅立たれ、急遽様々な予定を動かして関西に飛んだのだった。
大阪からおよそ2時間半。紀伊半島の真ん中くらいにある鄙びた駅は、ほとんど人気がなく、山に囲まれた古いお寺までは長閑な田んぼの中の一本道を歩いていく。
和歌山の太陽が燦々と照りつける中、お寺に着くと、鳥の鳴き声が聞こえてきて、風が紅葉の新緑を揺らした。
「N、会いに来たよ」
お墓に着くと、ふたりでお酒を飲みながら、色々な話をした。
「ありがとう。
ずっと愛してるよ。
また来るね」
昨年はこのお墓の前で、どれだけ泣いたかわからない。でも今年は、心を落ち着けてゆっくりと話をすることが出来た。
駅に戻ると、和歌山行きの次の電車は、30分以上あとだった。やっとの思いで和歌山に着くと、今度はバスが1時間近くない…。東京での生活しか知らない僕にとって、電車やバスなどすぐに来ることが当たり前だと思ったら大間違いなのだ。
和歌山の駅でバスを待ちながら、今にも銀色の車でやってきて、太陽のような笑顔でNが顔をだすのではないかと、何度も思った。僕の中では、Nはまだ生きていて、和歌山のどこかで暮らしているような気がしてならないのだ。ただ、今は、僕たちは会うことが出来ないだけ…
関空へ向かうバスからは、紀ノ川の雄大な流れが見えた。Nと何度も車で渡りながら眺めた美しい紀ノ川。
人は、亡くなると、どこに行ってしまうのだろう?
Nの育った町、和歌山を訪れながら、Nの笑顔ややさしさをずっと感じていた。

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