LGBT東北 × OUT IN JAPAN

日曜日、早朝の『石巻ツアー』から始まり、『CLOSET IN JAPAN』 という座談会があり、その後、9時から11時過ぎまでかかって会場の設営があった。
月曜日、朝の7時半には会場に入り、パネルの設営をして入場時間ギリギリの9時半になる。『震災とセクシュアルマイノリティ』というトークイベント。そして、写真家のレスリー・キーとミュージシャンのKI-YOが加わり、『東北地方とセクシュアルマイノリティ』の話になっていった。12時を境に、『OUT IN JAPAN』の撮影会が始まり、10時過ぎまでかかって103名のセクシュアルマイノリティのポートレイトを撮影会することができた。
今までの『OUT IN JAPAN』の中でも最大になった仙台のイベントは、みんなのあたたかさに包まれながら大成功に終わった。それもこれも、東北のスタッフ、並びにボランティアの方々が30人以上集まってくださったからだろう。
東北の人は、最初とても人見知りだ。一見とっつきにくいとさえ思えるような人もいる。でも、それを越えて、徐々に距離が縮まってくると、少しずつ心を許しはじめ、温かい内面に受け入れてくれる。
この1年の間に、大阪、福岡、名古屋、仙台と続いた『OUT IN JAPAN』のレスリー・キーの撮影会も、残すところ東京での2回となった。
このプロジェクトは、ずっと昔に夢に描いていたことだった。その頃は、この国で、1000人のセクシュアルマイノリティの方々が、一緒にカミングアウトをしてくれることになろうなんて、思いもしなかった。
このプロジェクトを通じて出会った全ての人たちに、心から感謝している。

昔、デートした男。

今回の『OUT IN JAPAN 東北』の撮影会で、自分でも笑ってしまったのは、過去に僕がデートをした人が来ていたということ。
僕は、40歳になる手前で前につきあっていた人と別れ、その後しばらくしてから、狂ったように色々な人とデートを繰り返していた時期があるのだ。それは、半年で100人を越す勢いだった。まさに、100人斬り・・・。
あれからもう6年くらい経っていたので、一瞬その人を見てもどこで会ったのか思い出せず、「どこかでお会いしましたよね?」と相手に恐る恐る聞いて、話しているうちに、「あ!思い出した!前にデートしましたよね!」と叫ぶ始末。
世の中狭いなあ・・・と思っていたら、先ほどまでトークショーに出ていた女装のデッカイ人が、一旦家に帰り、化粧を落として『OUT IN JAPAN』の撮影会にやってきた。そして、挨拶する顔を見て大声をあげた。
僕「あ!前に会ったことありますよね!・・・その昔、東京でデートした!」
もう一人いたのだった。過去にデートをしたことのある人が。
それも立派なドラァグクイーンに変わり果てていた・・・。
その当時、彼はまだ26歳くらいだっただろうか。とてもしっかりしていて、自分の意見を持っている人だなあ・・・と思ったのを覚えている。そんなことを話しながら、向こうもやっと僕のことを思い出したようだ。
彼「あ、外苑前でデートしましたね。ご夫婦がやっている地下のイタリアンに行って、そのあと、ワインのある2丁目の店に行きました・・・」
僕「なかなか思い出せなかったのは、やっぱり6年も経って、僕が老けていたからかな?」
彼「いや。今の方がずっと若く見えます・・・」
お世辞かなあと思いながら、それでも悪い気はしなかったのだけど、よくよく考えてみたら、あの頃僕は眼鏡専で、自分でも眼鏡をよくかけていて、スーツばかり着ていたのだった。それに、今思うのは、恋人を作りたいという必死な気持ちが、どこか表にも現れていたに違いない。
僕が何よりもうれしかったことは、ふたりとも、とてもいい男になっていたことだ。

石巻。

日和山から見る石巻の町。

日和山から北上川を見る。

津波が押し寄せた小学校の跡地。

門脇小学校は、毎年毎年、避難訓練をしていたそうだ。
緊急時に津波が来そうだと判断されると、裏の日和山の小高い山を上がった緑地に避難するという。
3月11日、14時46分に地震が発生して、警報が出た直後には、先生たちは生徒を引き連れて校庭に集まったが、すぐに校長先生の判断で日和山の緑地に全員が避難した。ちょうど下校の時間だった低学年の生徒は、慌てて学校に戻ってきて一緒に日和山に避難した。高学年の生徒は、避難訓練でやっていた通り、ブルーシートを持って日和山を登った。
津波は、今まで見たこともない高さで押し寄せ、引いてはまた押し寄せ、すぐ下の石巻の家や車ごとなぎ倒し、人間を飲み込み、瓦礫は山となり町を破壊し続けた。
海沿いの冷たい風が吹き、3月だというのに雪が降り続き、眼下の石巻の町では、地獄のような悲鳴が聞こえていたに違いない。やがて、みんなが緑地に集まると、高学年の生徒は肩の位置でブルーシートを広げて持ち、全員を一周取り囲むように丸く連なって立ち、その輪の中に低学年の小さな生徒たちを含む300人を入れた。ブルーシートで小さな子供たちを取り囲み、恐ろしい景色を決して見せないように彼らを守り続けたそうだ。
被災後の石巻の町に、はじめて行ってみた。
現地に実際に行くことで、はじめて震災の被害の大きさを想像することができた。テレビの映像で見るのと、実際にその土地に足を運ぶのとでは、そのリアリティにおいて、比べることもできないのだと思い知った。
石巻の復興は、5年経った今も、まだまだスタート地点にすぎなかったのだ。

仙台のゲイバー事情。

GXのお通し

燻りがっことクリームチーズ

仙台には、ゲイバーは9軒、ハッテン場が一軒ある。
昔は、20軒もゲイバーがあったのが、少しずつ淘汰されて、老け専、若専、ベア系など、お店によって細分化された感じなのだという。 場所は、県庁そばの国分町に集中しているのでとても探しやすい。
まずは、一番の人気店だという『Tank Dump』へ。
マスターのワタルさんは、とても親切で話しやすく、どんなお客さんでも温かく受け入れてもてなしてくれる感じだ。
お通しは、燻りがっこにクリームチーズが添えられていて美味しい。乾杯の時は、店中のお客さんに声をかけて、みんなで乾杯をしてくれる。
地方のバー特有の喫煙率の高さはあるものの、お客さんも親しみやすく、お客さんが次から次へとが絶えることなく、とても居心地のよいお店だった。
Tank Dumpと仲良しのマスターのゲンさんがやっている『GX』は、ガッチリから大きめの人が集まるお店。ゲンさんはガッチリしたハンサム44歳で話好き。
自分の思ったことをポンポン言うタイプの人で、どこか子どもっぽく憎めないキャラクターだ。
お通しが、とても美味しかった。
『Antlion』は、20代30代中心のお店。僕が行った時は9時半くらいで、お客さんはいなかった。少し出足が遅いとのこと。お店のママは11時に来るとのことで、チーママと飲んだのだけど、とても親切に震災時の話をしてくれた。
若者好きにはおすすめ。
⭐︎Tank Dumphttps://mobile.twitter.com/tank0411
⭐︎GXhttp://generationx.jp/guide.html
⭐︎Antlionhttps://mobile.twitter.com/barantlion

テレビ問題。

たいてい僕の家にやってきた友人たちは、リビングで寛ぎ、周りを見回しながら言うのだ。
「なんかないと思ったら、この家、テレビがないんだ!」
そう、僕の家にはテレビがない。
そもそもテレビを見たいとも思わないし、あの黒く大きな存在感が好きになれないのだ。また、テレビが垂れ流しでかかっている家ほど嫌な家はない。
それでも、Kと二人で旅行に行くと、ホテルのテレビはKが見るので、一緒になって見ていることもある。たいていは旅番組とか、食べ歩き番組だ。やがて、僕が仕事をしはじめると、Kは嬉々としてアニメを見はじめる。
僕は、土曜の夕方なんかに、Kが口を開けてアニメの番組を見ている姿を見ながら、まるで小学生みたいだなあ…と思い、平和な気持ちになるのだ。
先日、「テレビを買おうか?」とKに聞いてみたところ、「ただしくん、テレビ嫌いなんだから、無理して買わなくていいよ」と答えが返ってきた。
でも、大分生まれ大分育ちのKには、東京に友人などいるはずもなく、毎日僕の帰りをひとりでポツンと待っている姿を思い浮かべては、そのうちに寂しくて気が狂ってしまうのではないかと思うのだ。
寝室に大きめのテレビを買おうか?と僕が言うと、Kは、リビングでも見れる方がいい…と言うので、あれこれ見ているうちに、持ち運びができるポータブルテレビを買おうか?ということになった。
ふたりで暮らすということは、自分の世界がどんどん壊されて、これでもいいかなと変わっていくことなのかもしれませんね。

ジューンベリーの萌芽。

我が家のシンボルツリーでもある、ベランダのジューンベリーの芽がほころびはじめた。
それは同時に、桜の開花がほんのすぐそこだというサイン。ジューンベリーは、桜と同じくバラ科で、花の時期も同じくらいなのだ。
ソメイヨシノは、芽が開くと、まず先に花がほころび、咲き始め、花の終わりを教えるかのように葉が後から顔を出すのに比べて、ジューンベリーの花は、花と葉っぱがほとんど同時に顔を出す感じ。どちらかというと、白い山桜に近いだろうか。
花びらは、桜に比べると細く、楚々として野趣がある。葉は、出始めは茶色を帯びているが、開いてくると鮮やかな新緑の黄緑色となり、ゴールデンウイークのころは鮮やかなグリーンに変わる。5月の終わりから6月にかけて、鮮やかな深紅の小さな実をならすのだけど、小鳥たちがあっという間に食べてしまうのだ。
ジューンベリーは、冬の立ち枯れた姿も美しいけど、一番美しいのは、この新緑の季節、そして、秋の黄金とも言える紅葉の頃だろうか。
僕の季節は、我が家の小さなベランダの植物たちを見ながら進んでいく。

震災とLGBT

今週末21日(月)午後、仙台でのトークイベントに、『震災とLGBT 当事者からの思い 当事者への思い』という興味深いテーマのイベントがある。
そのイベントでお話いただくMCをつとめてくださる方と、当日スピーカーとして出てくださる東北のLGBT団体の方との打ち合わせに顔を出した。
『震災とLGBT』とは、なんと重たいテーマだろうか?
3月11日に未曾有の大震災が東北地方を中心に襲ったあとに、セクシュアルマイノリティの人々は、いったいどのように暮らして来たのか、僕もとても興味のあるテーマだ。東京で暮らす僕たちLGBT仲間の暮らしとはどんなところが違っているのか。どんな困難があるのか。ぜひとも当日お話を伺いたいと思っている。
僕が普通に思いつくのは、人間が生きるか死ぬか、ほんのすぐ先のことまでまったく見えない時に、セクシュアルマイノリティなどといったセクシュアリティのことにまで、人々は思い至らないのではないだろうか・・・ということ。
いくつかあったお話の中で、お母さんとFtMの息子さんふたりで暮らしている家があった。
息子さんは成長して行く過程で、自分が男性であると気がついて、男性に変わっていったようなのだけど、震災後、お母さんと息子さんが暮らす家に村人たちが集まり告げたそうだ。
「この家は、母親と娘しかいなかったはずだ。それなのに、若い男と暮らすとはどういうことだ!」
お母さんにとっては娘も息子も変わらない存在になっていたのだけど、そのことを村人たちには説明できず、理解もしてもらえなかったそうだ。その後、この親子は、埼玉県に引っ越しを余儀なくされたという。
ここで問題だと思うことは、いいとか悪いではなくて、村の人々の知識のなさではないだろうか。
今までずっとセクシュアルマイノリティなんて、いないものとして暮らして来た場所において、震災時にいきなりセクシュアルマイノリティのことを説明されても、なかなか理解できないに違いない。震災であろうとなかろうと、セクシュアルマイノリティは、自分の身近に確実に存在しているのだと、日本中の至る所に知れ渡るまで、我々は声を上げていかないといけないのだ。
それはそうと、津波で水浸しになった時に、自分の部屋から、大量のゲイDVDが放出された人もいるそうだ。
自分はクローゼットのまま、誰にもわからないように、楽しんでいたゲイDVDが、明らかに自分の部屋からあられもない姿で顔を出し、そこら中にぷかぷか浮いていた時は、半狂乱になったに違いない。
慌てて自分のものとは思われないように、遠くに投げたという話を聞いて、なんて、ゲイってせつないのだろう・・・と思ったのだ。

Belstaff

青空が広がり、もうすぐ桜が咲きそうな穏やかな晴天の日には、新緑のように鮮やかなグリーンの、ベルスタッフのライダースを着る。
イギリスのベルスタッフは、ライダースで有名なブランドなのだけど、近年はイタリアでデザインされ、丈が適度に短く、細身に仕上がったシルエットは、ダボつくことがなく身体にフィットする。
冬物のコートは、もうほとんど着ないのだけど、3月から4月は、まだまだ肌寒い風の吹く日が多いのだけど、そんな風の日でも、ベルスタッフのライダースなら、へっちゃら。
やがてゴールデンウイークが近づいて、町中が鮮やかなグリーンに包まれる日まで、僕が新緑のグリーンに身を包み、先取りをしておくのだ。

Kの同居を、大家さんに伝えなきゃ問題。

Kは、今月末に、この小さな家に大分から引っ越してくるそうだ…。
この家は賃貸なので、同居人を大家さんに申請しなければならず、それを、いつ、どのように言うかを、実はずっと考え迷っていた。大きなマンションなら黙って住んでいてもわからないのだけど、僕のマンションは入居者が4世帯で、僕の隣も下も、大家さんなのだ。
Kの名前と年齢を報告するにしても、関係性を必ず聞かれることはわかっていた。その時に、いったいどう答えるか…。
1. 遠い親戚
2. 友達
3. パートナー
本当のことを言いたいけれども、オーナーがとてつもなくホモ嫌いだったらどうなるのだろう…
「今すぐこの家から出て行ってくれ!」
とでも言われかねないではないか。(そこで、路頭に迷うゲイカップル…)
Kがやってくるのもあと2週間後に控えた今日、勇気を出して不動産屋さんにメールをしてみた。すると、すぐに、お名前と年齢を教えてくださいと、返信が来た。
僕「〇〇〇〇。年齢31歳。他に何か必要な書類があったら教えてください」
するとすぐに不動産屋さんから電話がかかってきたのだ。
不動産屋「ところで、この方とは、どのようなご関係ですか?」
(来た!来た!)
僕「・・・パートナーなんです!」
不動産屋「パートナー…あ、あ、そういうことなんですね…わかりました。大家さんに必要書類など確認しますね」
ほどなくして不動産屋さんからメールが入った。
「お世話になっております。オーナーに確認致しました。書類等は特に必要ございません。入居される時にでも、オーナーにご挨拶だけしていただければ幸いです。今後ともどうぞよろしくお願い致します。」
もし、入居を断られたら、渋谷区長の長谷部さんでも連れて行こうかと考えていたのだけど、あっさりとOKが出て、安堵の溜息をついたのだ。
また一歩、春が近づきました。

仙台へ。

駅で食べた牛タンカレー

『OUT IN JAPAN』 の仙台での撮影が1週間前に迫って来たため、早朝の新幹線でGといっしょに仙台日帰りの旅へ。大宮から、新幹線1時間半くらいで仙台に到着するんですね。知らなかった。
久しぶりに来た仙台の町は、道幅が広く、すっきりと整備されている。
『OUT IN JAPAN』のプロジェクトでこの1年間で撮影した町は、東京を除くと、大阪、福岡、名古屋、そしてこれから撮影する仙台。どの町も、そこに住む人々との出会いに胸を躍らせ、一人一人と向き合い、お話する機会に恵まれ、他では出来ない貴重な体験をさせていただいたと思っている。
今回、震災後であり、日本の中でも最も保守的だといわれている東北地方で、この『OUT IN JAPAN』の撮影会をすることは、様々な心配事がよぎることもあり、僕たちスタッフも身を引き締めてのぞんでいる。
20日の午後に予定している『CLOSET IN JAPAN 私がカミングアウトしない理由』という座談会もあり、東北で暮らす人々の暮らし方や違いを聞くことを、今から楽しみにしている。
打ち合わせは、東北のスタッフ7名と、東京から来た僕たち2名でおこなわれた。撮影前日から当日までの大きな流れを、みんなで分単位で確認して、共有すること。打ち合わせをしながら思ったことは、仙台のチームは、とても慎重だということ。細かな確認ごとも怠らないし、勢いやノリに流される感じがほとんどない。
帰り際に歩きながら、まだまだ当日の心配で頭がいっぱいのようなスタッフの人に僕が言った。
「1週間後の撮影会、ほんと楽しみですね。
きっと、みんな感動して、あたたかい気持ちになると思うんです。
そのことを想像するだけで、僕もなんだ胸がいっぱいになります」
帰りの新幹線の中で、心配顔だったスタッフの人からメールが送られて来た。
「何かを充填できた感じです。よろしくお願いいたします」
みんなの気持ちがつながって、今回の撮影会があたたかい笑顔に包まれますように。