OUT IN JAPAN 東京撮影会

急遽撮影会が決まり、64人の撮影が行われた。これで累計630人を越えたことになる。
1年間で1000人のセクシュアルマイノリティの撮影を目標に掲げて来たことから、あと3回の撮影で1000人に届くかもしれない。
毎回撮影で楽しいことは、様々な人との出会いがえることだろう。
撮影中、立って飲み物を飲んでいると、ひとりの若いFtMのHが話しかけてきた。
H「あのー、スタッフの方ですか?
僕は今日、四国の高松から来たんです。
高松ではLGBTとかは埋没していて、高松でセクシュアルマイノリティとして生きることを、みんな諦めちゃってるんです。
だから、高松では生きられなくなってどんどん東京に出てしまって、僕も東京行こうかずっと迷っていたんですけど、高松で生きることに決めたんです」
僕「田舎では、なかなかゲイでもカミングアウト出来ないし、結婚して自分のセクシュアリティを隠しながら生きる人も多いんだよね…
高松には、ゲイバーはあるんでしょう?」
H「ミックスみたいなバーですが、あまり賑わってなくて、やっぱりみんな東京に行きたがるんです。
でも僕は、高松でしか出来ないこともあるんじゃないかと思うんです。
自分の育った町から逃げないで、高松で次の世代に勇気を与えたいんです」
そんな話を聞きながら、なんとも熱い子だなぁ…と感心した。
OUT IN JAPANのこの日の撮影のために、特攻隊のように東京に日帰りで来てくれたのだ。
その後、アクティビストであり僕の弟のようなFに会いたいというのでFに急遽連絡を取り、ふたりは会うことが出来たようだ。
夜になったらHからFacebookの申請があり、Fと一緒に元気に笑うHの写真がアップされた。
今の純粋な気持ちのまま高松で、どうか周りを照らし続けてほしい。

日曜日のラーメン屋さん。

引っ越し当日、あしたのジョーのように真っ白になって、何とか無事に終わった夜、キッチンがまだ使えないこともあり、近くのラーメン屋さんにご飯を食べに行った。(僕がラーメン屋さんに行くことは、かなり珍しいのだけど)
すると、僕の前に小学生5年くらいの男の子と二つ下くらいの女の子、そしてお父さんが座った。
三人は餃子を食べながら、お父さんはチューハイを飲んでいて、子どもたちはコーラを飲んでいた。
やがて、それぞれ違うラーメンが次々に運ばれて来ると、三人はとてもうれしそうな顔をした。
お父さんは、ラーメンに半チャーハンをつけていて、娘さんはつけ麺にしていた。
家族三人でうれしそうにご飯を食べる姿を見ていたら、父のことを思い出した。
実際に父と暮らしたのは、小学校までなのだけど、今でも時々、子どもの頃の父のことを思い出す。
父は、母との結婚はうまくいかなかったのだけど、兄と僕のことは、目に入れても痛くないくらいにかわいがっていた。
小さな頃は、週末に父とよく海や山に遠出することが僕たちの一番の楽しみだったのだ。
父と母が離婚して、母と僕だけが離れてから、父は寂しさを抱えながら生きていたように思う。
日曜日のラーメン屋さんで、たまたま目の前に座った三人家族の光景を見ながら、あまりにも幸福そうな姿に目がじんわりと潤んできた。
お父さんは、ふたりの子どもをとても愛していたのだ。
目の前の家族を見ながら、僕の父の愛情を温かく思い出した。

引っ越し前日。

日曜日の引っ越しが決まって、月曜日くらいから細々と準備は進めていたのだ。
1. 小さな家における家具のレイアウトを塾考した上で、スペースにABCDEFと番号をふり、引っ越し屋さんがわかりやすいようにダンボールに書き込む。
2. まずは寝室の押入れを攻略したのち、ハンガーにかかっているもの以外の全ての洋服を、何個も持っているすべてのトランクに種類別に入れる。
3. 暖かい日を見計らってベランダの植物や重い鉢に手をつけ、不要な土を捨てたりする肉体労働。
4. 次は、最大の難関でもある本に取り掛かる。
『仕分けの女王』となって持っていく本と買取に持って行ってもらう本を情け容赦なく仕分けるのだ。
5. クライマックスは、気の遠くなるような調理器具とキッチン周りのお皿やグラスを割れないように包みながらまとめていく。
6. 前日の夜には冷蔵庫の電源を切り、『irodori』に冷凍食品を預けるために持っていく。ああ、何という段取りの良さ…というのを頭では思い描いていたはずだった。
それが、当初、1日に1つやれば順調に進むと思っていたのだけど、やり始めると、1つのパートが1日では全く終わらないことがわかり、どんどん次の日を侵食し始め、アッと言う間に前日になってしまったのだ。
しかも、金曜日に久しぶりにXと朝まで二丁目で騒いでいたので、土曜日の朝はほとんどゾンビのような顔で目覚めた…。
朝の9時から様々な音楽をかけ、自分を盛り上げながら黙々と箱詰めをし続けるのだけど、やれどもやれども全く終わらない…
夜の11時半でもまだ食器に手をつけられず、イロドリに冷凍庫の食品を持って行った時には、「もう、引っ越し準備終わらないかも…」と弱音を吐いてみんなを驚かせた。
半狂乱になりながら、だいたい片付いたのが夜中の2時半を回り、頭が朦朧としながら眠りの国へ…。
人生で、一番大変な時は、もしかしたら今かもしれないと、真面目に思っているのです。
死ーぬー

Kのカミングアウト。その1

Kは、東京に移住しようかと考えはじめて、このところ急ピッチでKも変わり始めている。
僕自身驚いたことは、先日、福岡での『OUT IN JAPAN』の撮影にKも参加したことだった。
僕と会う前には、ずっと大分でクローゼットで生きて来たのに、『OUT IN JAPAN』に出るということは即ち、カミングアウトをするということだからだ。
誰かがKの名前の検索をしたら、真っ先に『OUT IN JAPAN』のKのページに飛ぶだろうから。
そんなKが急に、家族へのカミングアウトをすると言い出した。
K「今度、家族で集まる食事会があるから、みんなの前で全部言おうと思うんだけど…」
僕「え?何を全部言うの?」
K「僕は、男の人が好きだということ。
東京に好きな人がいるということ。
だから、今の仕事を一旦やめて東京に行くということ…」
僕「えー!
そんな何もかもを一気に言ったら、お母さんたち泡吹いて倒れちゃうよ!
だって…
息子はゲイです…
東京に、16歳も歳の離れた恋人がいます…
仕事を辞めて東京行きます…
そんなこと一気に言われたら、お母さんたちも簡単に受け入れられないんじやないかな?
そもそも、大分のさらに田舎に住んでいるご両親が…そもそもゲイがどんなものかもわからないんじやない?」
僕「いきなり家族会とかではなくて、はじめはお兄さんかお姉さんに話して、味方になってもらって、徐々に総本山を攻略した方がいいと思うよ」
K「そうかもしれないね…
明日、お姉ちゃん家に行って話してくる」
そんなこんなで、Kのカミングアウト計画に対して、ほんの少しストッパーになったのだけど、お姉さんやお兄さんたちが何と言うのか、それさえも僕はドキドキでいる。

洋服の買い取り。

引っ越しついでに、もうずっと着ていない洋服を買い取りに出そうと思い、洋服業界に勤めている友人にどこかいい店はないかと尋ねると、僕の店で見てあげるよとのこと。
ゴミとして捨てるよりも、ほんの少しでもお金になればいいし、万が一誰かがこの服を着るのならば、少しは役に立つだろう。
今回は、ずっと昔によく着ていたゼニアのスーツやジャケット、そしてアスペジのコート、ペンドルトンのジャケットなど10着ほどだった。
仕事中に友人からLINEが入った。この金額でどうでしょうか?
写真を見ると、17000円強。
おおおー!なんて太っ腹なの!!!
随分昔のスーツやジャケットばかりだから、普通ただ同然で審査されるのだけど、友人のおかげで思わぬ臨時収入に恵まれた。
★BMS原宿買取センター店http://iconosquare.com/tag/bms

物。

今回の引っ越しで、家の中のすべての物を白昼のもとにさらけ出して改めて見て思うことは、
「どうしてこんなに沢山の物を持っているのだろう…」ということだ。
普通の単身の引っ越し料金は、だいたい平均6万円だと読んだことがある。僕の見積もりは、高いところでは30万を越えていた…。(苦笑)
その違いは何なのかと、じっくりと家の中の物たちを眺めてみると、本とCDと食器と植物と、大きめの家具だということがわかる。
ほとんどの物は、それを買う時に一番高い。
そして悲しいかな、手に入れた途端に値段は下がり始める。それは残酷なほど。
高かったスーツも、売る時は1/100くらいになってしまうし、2000円したけど読まなかった本は、手放す時には100円にもならないのだ。
沢山の物を前にしながら、自分が今までにどれだけ多くのお金を無駄につかって来たのかがわかる。
それとともにうれしいことは、そんなに多くはないのだけれども、心の底から、「ああ、これは買って本当によかったなあ…」と思う物があることだ。
買った時に、その大きさゆえに階段から入らずに(笑)、クレーンで吊り上げたソファ。
無垢材のテーブルやセンターテーブル。
ハンス・J・ウェグナーのYチェアと、イージーチェア。特に、イージーチェアはずっと迷っていたが、買って本当によかったと思っている。
アンリ・クイールの革製ソファ。
MIELEの冷蔵庫。
コンランで買ったアメリカンチェリーの洋服ダンス。(今回の家には収納があるので、分解して使わずに置こうかと迷っているが、愛着があり絶対に手放したくない物の一つだ)
POLIFORMのベッド。
イタリア製のリネン類。(高価だったけど、もう20年近く使っている)
ミニマムな暮らし方にも憧れるけど、僕は、ともに人生を重ねていけるような物が好きだ。
どのように生きたとしても、いつかこの世を去る時に、すべてを手放す時が来るのだ。
それまでは、自分の好きな物に囲まれて、時々傷つけてしまったり、修理したりしながら、一緒に暮らしていきたいと思う。

ハンガーのこと。

洋服ダンスを開けると、ハンガーにかかった洋服がバラバラに見えた。朝行く時も、帰って来た時もいつもいつもバラバラ。
スーツを買った時についてくるハンガーや、クリーニングをした後について来たハンガーを、そのまま使っていたのだからバラバラに見えるのもしょうがあるまい。
ハンガーがバラバラだから、洋服もバラバラになっていたようだ。
洋服を着る時に出して、酔っぱらって帰って来て、そのままボタンもかけずに乱暴にハンガーにかけて戻す・・・。戻された洋服は、手前や奥に傾き、踊っているように見えた。
今回、引っ越しをするので、ずーっと思っていたけど出来ずにいたこと、『すべてのハンガーを揃える』ということを思いきってやってみた。
一度に沢山のハンガーを揃えるのは、お金もかかるし難しいものだ。でも、最近はIKEAをはじめ、安い木製のハンガーが買えるようになっている。
もちろん、ハンガーにもピンからキリまであって、良いハンガーは数万円するのだけど、それは洋服が数十万円するものばかりお持ちの方にお任せして、僕は、すべての洋服のハンガーを買い替えることが出来る手頃な値段のハンガーにしてみた。
写真は、洋服ダンスの中。すっきりと収まった洋服は、心地良さそうに見えるではないか。自分で言うのもなんだけど、「まるで、洋服屋さんみたい!」
なんでもっと早くやらなかったのだろう!と思ったのであります。

愛しい写真。

引越しで押入れを整理していたら、昔の恋人Nの写真を入れた段ボールが出てきた。(このブログでは、時によってNかMになっているけど、それは彼のファーストネームとファミリーネームであり、その時々で使い分けていたためちょっと僕の中でもごっちゃになってしまっている)
どうしても中を開けることができず…
思わず、片付け上手で本も出している友人KIYOに相談した。

「今、引越しをしていてちょっと迷ってしまって…
昔10年間つきあった人との思い出の写真がダンボール一箱あるのと、子供の頃、小中高校大学などの写真も一箱あるのです。そういうものを僕は、改めて見返したりすることはないのですが、捨ててしまってよいものかどうか迷っていて…。
ちなみに、昔の恋人は、昨年亡くなってしまいました。
悲しい思い出は写真にはないのですが、すべて捨ててしまうほど、なかなか割り切ることが出来ません。どう思いますか?」
KIYO
「そうですね、その昔の恋人の写真ですが、見て悲しい思いにもならないのであれば、すっぱり捨ててしまっても大丈夫ですし、もし取っておきたいのなら、一番の思い出のものとか、一番かれがかっこよく写っているとか、そういった一番のものを厳選して取っておくのをおすすめします。
また、彼の写真だけではなく、自分の写真も同じように。
一番いいものをとっておいて、後は手放す。
もちろん、1番と言っても、一枚じゃなくていいですが。」
結局僕は、その箱を捨てることはできずに、そのままそっと置いた。
そのあと整理を続けていると、大昔に洋服ダンスの奥にしまって忘れていた3つの写真立てに入れた写真が出てきた。
2001年と2002年に訪れたフィレンツェや、シチリア島、ローマやサルデニア島での写真だった。ポンテベッキオで誰かに撮ってもらった写真や、レストランでお店の店員さんに撮ってもらった写真。
Nの太陽のような笑顔を見ながら、僕はこの笑顔が好きだったのだと思った。
輝くようなふたりの笑顔を見れば、ふたりが幸福の絶頂であったことがわかる。
この写真を捨てたところで、僕の中からNの記憶は消えて無くなることはないのだろう。
いつか、僕も衰えてNのそばへ行く時に全てが闇の中に消えてしまったとしても、僕たちは確かにあの時に、愛というものの中にあったのだ。

金沢のHさん。

金沢に来る一つの理由は、偶然お寿司屋さんで隣り合わせたノンケのHさん(僕と同じ年)と、美味しいものを食べながら、お互いの近況を話すこと。
Hさんは、日本酒協会の人で、日本酒にとても詳しい。
いつもHさんは、あらかじめお店にHさんセレクトの日本酒を持ち込んでいて、我々は食事に合わせてその日本酒をいただくことになる。
今回、『白菊の大吟醸』と『黒龍の石田屋』、そして、『平成八年の菊姫の大吟醸』をいただいた。
スッキリとした白菊ではじまり、香箱がにや海老のじんじょうをいただき、石田屋でお造りや鰤のぶっかけをいただき、菊姫で鱈の白子の茶碗蒸しや炊き合わせをいただいた。
Hさんは、日本酒の知識をひけらかすことなく、お料理に合わせた絶妙なチョイスで、いつも日本酒の奥深さを教えてくれる。
食事が終わると、Hさんはまだまだ一緒に飲みに行きたいと言うのだけど、僕ものんびりとひとりになりたいと思い、お別れした。
「今日はありがとうございました。また、来年、金沢で会いましょう」
一時期、Hさんはもしかしたらゲイなのではないかと思ったこともある。だって、ノンケがわざわざ男の人と食事をするだけのために大枚をはたくだろうか?
本当のところは僕にも未だにわからないのだけど、Hさんは僕とのんびりと食事をしながら、穏やかに笑っている。
わざわざ高価な日本酒を何本も用意して、僕と食事をして、Hさんにとって何かよいことがあるのかはわからないのだけど、こんな不思議な関係が、もうかれこれ、7年くらい続いている。
人生には、不思議なことがあるものだ。

鮨 八や

香箱がに

鱈の白子の蒸し寿司

のどぐろ

金沢には、僕の大好きな寿司屋さん『小松弥助』があって、ここに寿司を食べに来ることをいつも楽しみにしていたのだけど、大将が84歳ということもあり、今年の11月いっぱいでお店を閉店してしまった。
『小松弥助』で働いていたお弟子さんがやっている『志の助』や『乙女寿司』に行っても、やはり『小松弥助』に代わるお寿司屋さんは見つけることが出来ず、改めて『小松弥助』の偉大さを感じているのだけど、思いがけず、今回訪れた『鮨 八や』は、別の意味で素晴らしいお寿司屋さんだった。
店は町中から車で15分くらいかかる住宅地にあり、家の一階がお店になっている。
大将は、とても謙虚な方で、それだけでこのお寿司屋さんが素晴らしいことがわかる。
お酒は、立山のみ富山のお酒で、あとは菊姫、天狗舞など、石川県のお酒を揃えている。
お寿司は、野々市にある名店『太平寿司』で修行されていた流れを汲み、『あいじ』は兄弟子にあたるそうだ。
少しずつ出してくださる地元の魚が素晴らしい。富山湾の網にかかったミンククジラを炙ったものは香り高く、イカの塩辛の一歩手前というのも、塩辛くなくてお酒が進む。
香箱がには、内子と外子と蟹肉の三段構えという贅沢さ。
蛸は茹でただけのものと、甘く柔らかく煮込んだものが味わえる。
一番美味しかったものを挙げるとすると、鱈の白子の蒸し寿司だろうか。遊び心があり、とても美味しかった。
のどぐろでクライマックスを迎え、お椀を頼むと、鯛とのどぐろで取った出汁に薄めのお味噌が溶いてあり幸福感に包まれた。
また一つ、金沢で素晴らしいお寿司屋さんに出会えました。
★鮨 八や
076-233-3288
石川県金沢市示野中町1-71-7
http://tabelog.com/ishikawa/A1701/A170101/17000512/