KYUSYU RAINBOW PRIDE

今年で2回目になるという福岡でのパレードに参加した。はじめ、定員が300名と聞いていたのだけど、思ったより人が多く、その倍はいたのではないだろうか。
中でも目立っていたのは、ヒルトンが団体でヒルトンTシャツを着て歩いていたり、AIGが綺麗な水色の旗を持って集団で歩いていたこと。
企業がこうしてパレードに参加することは、とてもLGBTフレンドリーな企業に見えるので、広告などを打つ以上に好感度は上がるのではないだろうか。
冷泉公園の会場には人が数千人くらいは集まっただろうか?会場は手作り感が溢れ、温かい雰囲気に包まれていた。
冷泉公園から明治通りを抜けて、渡辺通りの手前の大丸で道を左折、キャナルのそばまで行って、かろのうろんの手前から左折、商店街を通って中洲川端まで戻るコースは、大阪などと違って町の目抜き通りだし、バスに乗る人や通行人も沢山見ていた。
パレードの課題は、東京でも大阪でもここでも同じだと思うのだけど、一体なんのために歩いている団体なのかが伝わっていないために、どう伝えていくかということ。
同じ日にほぼ同じコースで、福岡では野球の優勝パレードがあったようで、通行人は野球のパレードだと思っている人も沢山いたように思う。
商店街ではおばあさんやおじいさんも、一体なんの人たちなんだろう…と不思議そうに見ていたりしたのだけれども、第2回とはいえ、本当に気持ちのいいパレードだった。
KI-YOのステージも感動的で、OUT IN JAPAN のテーマ曲でもある WE ARE ONE をみんなで大合唱したのでした。

OUT IN JAPAN #005 in FUKUOKA 撮影会

朝日新聞の夕刊にも載りました。

OUT IN JAPANの撮影会が福岡で行われ、総勢99人のセクシュアルマイノリティの参加があった。
朝の8時からスタジオ入りして、撮影会が終わったのは、夜の10時半。
ほとんど立ちっぱなしでサンドイッチやおむすびをつまみながらの作業は、終わる頃には足が棒のようになり、ヘトヘトに疲れきってしまうのだけど、参加者の方々と色々な話をさせていただく中で、僕たちが勇気をもらっているようなところがある。
およそ1ヶ月前に僕は一度福岡に来ていて、『七男鳥』、『compact』、『safari』を周り、パンフレットを置かせていただいたのだった。
そして、昨夜も『七男鳥』で飲みながら、近くの人に参加しませんかと何人もの人に声をかけたのだけど、やはり福岡の土地柄か、カミングアウトを目的としたプロジェクトには二つ返事でOKしてくれる人はいなく、本番はどうなるのかと思っていたのだ。
しかし、前半こそFtMなどが多かったものの、午後の早い時間には、『七男鳥』のマスターも駆けつけてくださり、緊張しながらもカッコイイ写真を撮影することが出来たし、後半は『compact』周りのゲイの人たちもどんどん増えて来て、僕の心配も杞憂に終わったことがわかりほっとした。
今回、一番驚いたのは、二組の家族だった。
1つは、8歳のFtMの子がいたこと。彼は女性の身体で生まれて来たけど、幼い頃から自分のことを男だと思っていたようで、お母さんもそれを受け入れて、今回の撮影に参加してくれたのだ。
彼のような子が出てくることによって、一般的な知識も高まるだろうし、実際に当事者を抱えるご家庭も、「うちの子だけではないんだ」と思えるに違いない。
子どもはとてもわんぱくで、撮影の間中はしゃぎ回り、みんなに愛されていた。
そしてもう1つは、MtFの人と、その娘さんが参加してくださったことだった。これはどういうことかというと、もともと男性として女性と結婚して、子どもをもうけた父親が、その後、自分は女性だという認識を示し、女性として生きることを選び、家族にもそれを話し、了承を得たということだ。
12歳くらいの娘さんが一緒に来ていて、今となってはお母さんになってしまった親御さんの撮影を、必死にカメラで撮影していた姿がとても印象的だったのだ。
これはまるで、『トランスアメリカ』という映画のようで、僕自身そんなことが現実的にあるのだと知って驚きを持ってふたりを見ていたのだけど、たとえセクシュアリティが途中で変わったとしても、親子の愛にはなんの変わりはないということを、まざまざと見せつけられたのだった。
LOVE IS LOVE

大どころ。

アラやヒラマサのお造り

鱈の白子の茶碗蒸し

鰆の輪切りの炭火焼

金曜日の早い便で福岡入りし、夜勤明けに駆けつけたKと久しぶりに『大どころ』へ。
古い木材を使った仄暗い店内は居心地がいい。カウンターの座席は背もたれがないが上下の幅が広く座り心地がよい。
大将はエグザイルにいそうな見かけの人だけど、とても気さくでよく話をしてくれる。食材の話から、調理の仕方、食べ方まで、自分の料理を丁寧に説明してくれる。
魚をメインに扱っているのは、もともと大将が『魚屋さん』で働いていたからだそうだ。その後、和食店で働いた経験の上に、今の店はある。
京都的な本格的な割烹料理ではなく、あくまでもお魚をメインにすえて、シンプルな調理で出てくる料理ばかりだ。
前回はアラカルトで頼んでいたのだけど、今回はお料理の全体が見たかったのでコースにしてみた。
鰹出汁の芋のスープから、ワカサギや銀杏のフライ、アラ、鯖、ヒラマサなどのお造り、鱈の白子の茶碗蒸し、鰆の輪切りの炭火焼、平貝のサラダ、アラしゃぶ、むかごご飯…
量も多く、途中でお腹がいっぱいになるのだけど、炭火で焼いたような料理だからか、食べることができるし、コスト的にも十分満足感のある料理だった。
デートでもいいだろうし、友達と話をしながら、美味しいお酒を飲みながらのんびり食事をするにはとてもいい空間だと思う。
★大どころ
092-724-9600
福岡県福岡市中央区今泉2-3-38 ピュア天神 1F
http://tabelog.com/fukuoka/A4001/A400104/40036894/

台湾から、E&Rカップルが来日。

かまどさん二合炊き

台湾でイロドリのスタッフがお世話になった、E&Rカップルが再び来日した。
ふたりは新宿に家を1年間だか借りていて、半分をまた他の人に貸すということで家の掃除に来たのだ。
ふたりは、前日に台湾行きを決めた僕のホテルの手配からはじまり、日台合同パーティーの主催、そして、みんなの九份などの観光まで、何から何までやってくれた。
僕よりも全然若いのに、間も無く仕事から引退しようかなあ…と言っているEを見ていると、なんとも恵まれているなあと羨ましくなる。
苦労など感じさせず、悠々と人生を生きている感じがするのだ。
Rはというと、代官山のル・コルドンブルーの学校に通って、きちんと卒業したのだ。そしてこれから台北と新竹にお店を出店するという。
今回、台湾旅行のお礼のために、ふたりにプレゼントを用意した。
それは、長谷園『かまどさん』の二合炊き用土鍋。
以前Eが無水鍋を日本で購入しているのを見て、何を料理するのだろう…と思って聞くと、「これで美味しいご飯が炊けると書いてあるから…」と言っていたのだ。
僕も無水鍋は持っているけど、アルミでご飯を炊くよりも、やはり土鍋で炊く方が美味しいと思っていたのだ。僕は、一号のご飯を炊く時に、この『かまどさん』を使っている。
EとRは、『かまどさん』を抱えて、嬉しそうに手を振ってタクシーで家に帰って行った。
台湾に帰国して、いつかご飯が土鍋で美味しく炊けたら、きっとLINEがくるだろう。
★かまどさんhttp://www.igamono.co.jp/product/kamadosan.html

黄色いクルマを探して。

朝起きて、「今日中に、真っ黄色のクルマに出会えますように』と宇宙にお願いした。
僕たちの世界は、自分の意識によって出来上がってゆくということを、このところずっと考えていて、これは本で読んだテストのようなものだ。
これはなにも、僕の頭がおかしくなったわけではなくて(昔からエキセントリックだとか、頭がおかしいと言われている節もあるが・・・)現代の量子物理学の世界からすると、もはやそんなことは当たり前になっていて、この世には個体などなく、すべてはエネルギーで出来ている。エネルギー(意識)が働いて、事象は引き寄せられ、つくられるものだと書いてあるのだ。まあ、簡単に言うと、引き寄せの法則のようなこと。
朝、勢いよく外苑前の駅に向かって歩く途中、歩き出して300メートルくらいの道にそのクルマはあった。
真っ黄色のトヨタのクルマは、僕に向かって微笑んでた。

ハッピーバースデー!ひろしさん。

朝からなんだかわからないのだけど、『ぺんぺん草』に行かないと…とずっと思っていた。
7時過ぎにぺんぺん草に着くと、席はかなり常連の人たちで埋まっていた。
20年くらい昔と変わらないメンバーでワイワイ騒いでいると、ふとKEカップルが花束を持って上がって来た。
明日は、ぺんぺん草のひろしさんの誕生日だったのだ。
僕はまた、手帳に書いたまま、明日だったのですっかり忘れていたのだけど、水曜日がお休みなので、もともと今日ぺんぺん草に来ようと思っていたのだった。
恥ずかしそうにしているひろしさんを見ながら、みんなでお祝いをした。
Mが、ケーキらしきものを急いで買って来て、蝋燭を立ててみんなで、
「ハッピーバー♪…」
と歌った途端に、ひろしさんがいきなり「ふー!」って火を消した。
恥ずかしがり屋のひろしさんらしさに、みんなで大笑いした。
ひろしさん。
自称69歳の誕生日、おめでとう!

生ハムと柿。

桃と生ハムもそうだけど、オリーブオイルをかけるとうまい。

昨年、桃とモッツァレラの組み合わせが流行ったけど、残念ながら僕はあまり美味しいとは思わなかった。
モッツァレラの繊細な味が、桃で隠れてしまう気がしたのだ。
昔、はじめて生ハムをメロンと食べた時、不思議な違和感に驚いた。
もともとメロンの後味が好きではない僕は、生ハムメロンもそれほど好きにはなれなかった。
数年前に家で桃が沢山余ったので、生ハムと一緒にオリーブオイルで和えて食べたら、これが物凄く美味しかった。以来、桃が出回ると、生ハムと食べてみたくなる。
先日、母から沢山送られて来た柿を、今度は生ハムと合わせてみた。
柿の甘みと生ハムの塩気がうまく合わさって、桃以来の大ヒットになった。

Hとお母さん。

Hは、僕のすぐ近所に住む39歳くらいのゲイ。なんというか、典型的なSO GAYだ。(笑)
ほんの数年前に鹿児島のご両親にカミングアウトをしたのだけど、ご両親にはまったく受け入れられず、まるで何もなかったかのようにその話題にはお母さんも触れなくなっていた。
それが、久しぶりにお母さんが、鹿児島から東京のHの家を訪ねてくることになったという情報が、神宮前二丁目ファミリーの中で駆け巡ったのだ。
「日曜日の夕方、『irodori』におかんと行きます」
 
そんな情報を聞いて、僕も紀伊国屋で買い物を済ませ『irodori』に向かうと、お母さんとHと、なんとHの恋人のKeまでいるではないか!これはいきなり、自分の恋人まで一気にお母さんに紹介するようだ。そこへ、Hの弟さんとフィアンセも加わり、なんだかなんでもありのような大所帯になった。
お店に入るなり、お母さんにご挨拶をした。
お母さん「あらあ、Hがいつもお世話になっております」
僕「いやいや、僕の方こそ、いつもHちゃんにお世話になってるんです」
僕の後に、神二のファミリーが続々と駆けつけた。ゲイ、ビアン、オナベ、ノンケ・・・なにもかも入り乱れて、お母さんにはもうセクシュアリティなんてよくわからないんじゃないかというくらいに。
帰り際、みんなで集合写真を撮って、お母さんは安心しているのがわかった。こんなにたくさんの友達に囲まれているなんて・・・と思ったみたいだった。そして、ふいにお母さんの口から、「LGBT]という言葉が出た。
僕「お母さん、LGBTなんて言葉ご存知なんですか?」
お母さん「知ってますよ。あれから私も随分勉強したんです・・・」
Hには言わなかったのかもしれないけど、お母さんはお母さんで、Hのカミングアウトを受け止め、自分の中でゆっくりと理解しようとしていたのだった。
温かい仲間たちに囲まれて大きく笑うHを見て、僕もとても幸福だった。別れ際、お母さんは何度も僕たちに頭を下げていた。

衣替え。

いくつあるんだろう…

ここ数日、気温もぐっと下がって来たので、今朝ようやく重い腰を上げて衣替えをした。
この夏、着なかった服を処分して、冬服も本当に必要なものだけを残して処分する。
改めて、毎日着る洋服は何かと考えると、ほとんど同じような服ばかり着ていることに気づく。それは、シンプルで着心地がよく、素材が自然のもの。どんなに流行っていても人工的な化繊のものは、肌に合わないようで全く着なくなってしまう。
僕のワードローブの中で、比較的数を持っているのがマフラーだ。マフラーをしているととても暖かい上に、多様な色はその時その時の気分を盛り上げてくれる。
毛糸の手袋や帽子、コーデュロイのパンツを出して、カシミアのセーターに袖を通すと、もう脱げないと思えるほど滑らかで暖かかった。
冬の準備が整いました。

ストレートをアライへ。

今回のOUT IN JAPANの撮影風景が、夕方にNHKの首都圏ネットワークで放映された。そんな縁があって、記者さんふたりと数軒飲み屋をはしごした。
彼らはストレート。そして、今年になって世の中が騒ぎ出したLGBTの話題をネタとして取り上げようとしている人たち。
彼らと話していると、LGBTに対する垣根や偏見があまりないことに気づいた。どうしてなんだろう?と聞いてみると、ふたりとも海外で学校にいたことがあって、そこでは普通にゲイがいて、寮では同室だったりしたのだそうだ。
でも、たとえば、セクシュアルマイノリティが幼い時からどんな風に生きづらさを抱えて生きてきたかとか、いじめがあったり、精神的に弱ったり、自傷行為や自殺をする人の割合がとても多いということや、ホモフォビアによるヘイトクライムが未だに世界で蔓延り続けているといった話は、彼らはほとんど知らなくて、驚いてばかりいた。
この国でも、ようやくセクシュアルマイノリティの置かれている環境が変化を迎えはじめていて、ところどころで今まで気づかなかった問題も浮かびはじめている。
そうした中でも、僕たちセクシュアルマイノリティのうちわだけではなく、こうやってストレートの人たちと接触して、僕たちのことを出来るだけ正確に理解してもらうように働きかけることがとてもたいせつな気がするのだ。
身の回りのストレートたちに、セクシュアルマイノリティのことをきちんと話し、理解してもらい、少しずつでも周りにアライが増えてゆくことで、この国もゆっくりと動いてゆくかもしれない。