スクワット。

僕は昔バレーをやっていた(バレエではない)せいか、下半身が太く筋肉もつきやすいので、一時期は下半身の種目はあまりやらないようにしていた。
というのも、Gパンを今までに3回も破ってしまったから…
撮影中にモデルさんにポーズの手本を見せていた時にしゃがんだら、思いっきりビリッ!と音がしてお尻の下が破けたことがある。その後タクシーで一旦家に帰って似たようなGパンに履き替えて戻って来た。
今はもう下半身が太くなってもいいや…と開き直って、ジムに行く日はまず下半身からやるようにしている。そしてなぜだかこの頃は、『スクワット』の奥深さに魅せられ、なるべくきちんとしたフォームで、呼吸を意識しながらゆっくり深くやることにしている。
スクワットは、太ももの前の筋肉「大腿四頭筋」、 太ももの後ろの筋肉「ハムストリングス」、お尻の筋肉「大臀筋」、 ふくらはぎの筋肉、背中の「脊柱起立筋」など、全身の様々な筋肉を使うと言われている。
15回、12回、10回。3セットやるだけで、全身を使ったせいか呼吸が激しくなり、身体全体が動くように感じる。
『スクワット』をやる理由はいくつかある。まずは全身の筋肉を使うこと。それと、成長ホルモンが分泌されること。(僕の年齢でも、成長ホルモンは分泌されるようだ(笑))
そして実は、自分がイメージしている姿があって、子どもや、けが人や、お年寄りや、倒れた人を担いだり、運んだりしなければならないそんな時に、役に立つ人でありたいと思うのだ。
(黒柳徹子も、毎日寝る前にスクワットを50回やっているというのも、なんだか気になるのではあるが…)

鴨鍋。

Kの盛りつけ

芹が美味しい

Kが鴨が食べたいと言うので、久しぶりに鴨鍋にした。
冬の間、一度は鴨鍋を食べるのだけど、鴨を取り寄せ野菜を数種類揃えれば簡単に濃厚な鴨鍋を食べることが出来る。
野菜は、鴨ネギというくらいなのでネギ、ごぼう、水菜、絹ごし豆腐、しいたけ、しめじ、そして何よりも芹やクレソンがとてもよく合う。
大分の日本酒『鷹来屋』の吟醸を飲みながら、最後には蕎麦を茹でて鴨南蛮をいただく…
冬の寒い夜に、これ以上の贅沢はないなぁ…と、何度もつぶやいた。

佐伯。

竹寿し

糀屋本店

大分に来る時は、ソラシドエアーで来ることが多い。ソラシドエアーは、九州と他の都市を結ぶ航空会社で、ANAとの共同運航便もある。
ソラシドエアーは機内誌がとても良くできている。最初から巻末の檀太郎さんの文章まで、徹底して九州のドメスティックな話題にこだわっているのだ。今回、大分市の40キロくらい南にある『佐伯』の話が載っていたので、Kと一緒に行ってみた。
佐伯は二万石と聞いていたのに、実際に佐伯城の周りに行ってみると櫓門も立派だし、武家屋敷街は山に面してとても美しい街並みを遺し、国木田独歩の記念館などもある。
また、豊後水道が近いため、地元で上がる魚の種類も豊富で、一帯の寿司屋さんが加盟して、地場の魚だけを出す『世界一の寿司の町』を目指しているという。
ランチを目がけて『竹寿し』へ。
創業28年の竹寿しは、寡黙な大将が毎朝市場に出向き、地元の魚を仕入れて来ているお寿司屋さん。佐伯の寿司屋と言えば、ネタが巨大なことで有名だが、竹寿しは普通の握り。鯵もサヨリも全く臭みがない。天ぷらもカリッと揚がり美味しい。
糀屋本店がこの佐伯にあると聞いていたので、覗いてみた。古い民家をそのままお店にしていて趣のある店内は、親切に糀の使い方を教えてくれる。塩糀、出汁糀、糀納豆…麹を使った様々な商品が並んでいた。
ふとKが、「僕の通った高校見たい?」と聞くので、行ってみた。Kが佐伯の高校に通っていたのは知っていたけど、表情を変えず運転していたので思い入れがそんなにないのかと思っていたら、高校の前に来ると懐かしそうに眺めていた。
恋人の高校に来るというのは、なんだか不思議な気がするものだ。
12年前くらいまで、Kはこの高校に通い、町で駄菓子屋さんなんかに入っていたのだ。
外苑前にある僕の高校生活とは全く違う、佐伯の町で暮らすKの高校生活を静かに想像した。
★竹寿しhttp://s.tabelog.com/oita/A4401/A440105/44001913/
★糀屋本店http://www.saikikoujiya.com/fs/kouji/c/

報復。

僕は小さな頃、空手を習わされていた。
父は柔道3段、空手2段、剣道初段、合気道初段だった。文武両道という言葉を小さな頃から僕たちに唱え、いくら自分が正しくても、自分を守る力がなければ生きてゆくことは難しいと教えていた。
兄は空手で2段まで取ったのだけど、僕は空手をこっそりとさぼってばかりいた。
僕が、武道も格闘技も好きになれなかったのは、(僕が1000%ゲイであるから…というわけではなく)今思うと、人と人がぶつかり合う音が好きになれなかったからだと思う。
中学校からは父と母は別居していて僕は母と暮らしていたのだけど、時々父は、僕の空手道場に車で迎えに来ることがあった。
車の中で父と過ごす時間は、思春期で離れかけた僕の心をなんとか父が取り戻そうとするかのように感じられることもあった。
いつか父が迎えに来た帰り道に、僕は父に聞いたことがある。
「お父さん、僕がもし、誘拐されたらどうする?」
「お前が世界のどこにいても、必ず助けに行くよ」
「じゃあ、お父さん、僕がもし、誰かに殺されたらどうするの?」すると、父は答えた。
「どんなことがあってもその人を見つけ出して、お父さんはその人を殺すと思う…」
そんな父の言葉を聞いて、僕は震えるほど恐かったのを憶えている。
家族を守り、まわりの人にやさしくあるためには、強さが必要だと父に教えられたはずなのに、僕自身はどうやら弱い人間のまま大人になってしまった。
それでもいま願うことは、世界で起きている憎しみによる報復の連鎖が、一日も早くなくなりますようにということだ。

牛肉切り落としのさっぱり煮。

牛肉の切り落としが手頃な値段で売っていると、まとめて買ってくることがある。(日本橋三越本店では、9のつく日に安売りをしている(笑))
牛肉の切り落としの味付けは、大きく分けると2つ。1つ目は、牛丼やすき焼き、時雨煮、牛ごぼうなどの甘辛いものと、2つ目は、肉うどんなどのさっぱりとした出汁の味わいの残るもの。
どちらも好物なのだけど、どちらかというとさっぱりとした出汁の味わいの残る牛肉をよく作る。肉うどんに関して言うと、お店によって甘辛く煮た牛肉を使うところもあるけど、僕はさっぱりとした肉うどんが好きだ。
★牛肉切り落としのさっぱり煮。
〈材料〉
牛肉切り落とし 400gくらい
出汁400ml
薄口醤油 大さじ1
みりん 大さじ1(もしくは酒大さじ1)
塩 一つまみ
〈作り方〉
1.鍋にたっぷりの水を沸騰させたら、灰汁を抜くために牛肉を入れてさっと茹でて、ピンク色のままざるに上げる。
2.出汁以下を鍋に温めて(沸騰させなくてよい)、茹でた牛肉を浸しておく。
※まとめて作っておけば遅く帰って来ても、必要なだけ温め直して刻んだ九条ネギとともにうどんに入れるとか、ご飯に乗せても美味しくいただける。山椒の実を入れると、酒のつまみによい。

Bette Midler 2

憧れのベット・ミドラーのコンサートに行くことを、映画『フォーエバー・フレンズ(原題Beaches)』を観て以来、僕は26年間ずっと夢見て来ました。
数年前には友人Mが、ラスベガスで彼女のショーを観て素晴らしかったと言うので、羨ましいなあ〜と思いながらパンフレットを眺めていました。
彼女は(ハワイ出身が関係あるのかわからないけど)日本嫌いらしく、日本にはまず来ないだろうと言われていたし、もう生きているうちは無理かも…とほとんど諦めかけていたのです。
それがたまたま、この夏ニューヨークでコンサートをやるらしく、これまたMが自分の分と合わせてコンサートのチケットを取ってくれたのでした。
もともと、昨年末に行ったカナダに魅了されて、この夏もう一度カナダに行こうと思っていたので、これはもう神様の思し召し…。自分の仕事がその時期どうなるのか…という不安はあるものの、6月に久しぶりにニューヨークに行くことにしましたー!
★IN MY LIFEhttp://youtu.be/JeuxV_PzR_s
★Bette Midler(その1)http://jingumae.petit.cc/banana/2189237

冬の寒い夜に。

冬の寒い夜に、久しぶりに二丁目の店を覗く。
その店に入ると、角のカウンターに案内された。
90度左隣には、引き締まった身体の短髪30代が座っていて僕と目が合った。
席に座ると、短髪の脚が僕の脚のすぐ先に感じられて、彼の体温が遠赤外線のように伝わって来た。
「あたたかいですね…」と僕が言うと、
「体温が高いんです。ボク」と短髪は少し照れたようにこたえた。
僕の酒が運ばれてくると、短髪は僕と乾杯をした。その自然なしぐさからは、あたかも僕たちが昔から知っている友人同士のような親密さが感じられた。
笑った目が澄んでいる。話をしていると、年が僕より10才くらい下だということがわかった。
ふと短髪がトイレに立とうとした時に、温かい手が僕の左股を掴んだ。
誰もが誰かを探している。一夜限りの人であれ、生涯をかける人であれ。
人間とは、なんて愛おしいのだろうか。

おみおくりの作法

先々週末からシネスイッチ銀座で始まった映画『おみおくりの作法』は、映画評が良いのかテレビで取り上げられたのか、いきなり大ヒットになっていた。ちょっと期待して観に行ったのだけど、素晴らしい短編小説を読んだような読後感が残った。
ジョン・メイは、ケニントン地区の民生課に勤めている44歳。仕事は、ひとりきりで亡くなった人の葬儀をすること。身寄りを探したり、誰も身寄りのない人の場合は故人の生きた痕跡を探し、故人に合わせて葬儀の音楽を選んだり、弔辞を書いたりする。
ジョン・メイは、風采の上がらない男だけれども、毎日きちんと身だしなみを整え、規則正しく出勤し、故人の尊厳を守る仕事を実直にこなしてきた。それは、とても地味で、誰からも評価してもらえないような仕事かも知れないけれども、ジョン・メイは彼自身の信じる生き方を貫いて来た。
そんなある日、ジョン・メイの家の目の前に住む顔も知らないアルコール中毒の男ビリー・ストークが、突然ひとりきりで亡くなる。ビリー・ストークの足跡を辿るジョン・メイの新しい旅が始まる…。
『職業に貴賤はない』と僕は思っている。
あるのは、自分の仕事に対する捉え方だけなのではないだろうか。死という人間の尊厳を最後に扱う仕事を、この上なく尊い仕事だと捉え働くことも出来るし、誰もがやりたがらない酷い仕事だと捉え働くことも出来る。ジョン・メイの生き方は、真珠のような輝きを放っていた。
この映画が気づかせてくれることは、アル中で周りの人を傷つけてきてハチャメチャに生きてきたと思えるビリー・ストークの生きた足跡でさえ、まるで物語の主人公のように趣がありドラマティックで美しく感じられること。そして、どんなに凡庸に見える人の人生でも、多くの人の人生に影響を与えているに違いないと思わせてくれることだ。
★おみおくりの作法http://bitters.co.jp/omiokuri/

トレヴィの泉で二度目の恋を

シャーリー・マクレーンとクリストファー・プラマーが主演と聞いて、心待ちにしていた映画をルシネマに観に行ったら、まるで高齢者施設の映画鑑賞会か?と思うように、高齢者が大挙して押しかけていた…。
それもそのはず、80歳のシャーリー・マクレーンと、85歳のクリストファー・プラマーの恋愛物語なのだ。(役の上では、シャーリーは75歳プラマーは80歳だったかな)
シャーリー・マクレーンは、陽気で天然のおばあさん。明るくて、毎日を楽しく思いのままに生きている。
頑固者のクリストファー・プラマーは、7ヶ月前に妻に先立たれ、外出することもなく殻に閉じこもっている。
クリストファー・プラマーがシャーリー・マクレーンの隣に引っ越して来ることによって、クリストファー・プラマーの生活が徐々にシャーリー・マクレーンによってかき乱されていく…。
映画は、イタリアの巨匠フェデリコ・フェリーニの『甘い生活』に対するオマージュだ。
シャーリー・マクレーンは、映画『甘い生活』に心酔していて、いつかトレヴィの泉に行ってアニタ・エクバーグのように泉に入ることを夢見ている。(そういえばアニタ・エクバーグも先日亡くなったのでした)
僕自身がある程度年をとって来たので老人映画に目が行くようになったのかもしれないけど、老人が主役の映画が、ここ数年物凄く増えて来たような気がする。
若い時の熱情も素晴らしいと思うけど、いくつになったとしても、恋愛をしている人の姿は微笑ましいものだ。
このふたりのお話なら、このまま何時間でも飽きずに見ていられるなあと思ったかわいい映画でした。
★トレヴィの泉で二度目の恋をhttp://torevinoizumide.com