世界は変わって来ている。

Tokyo Rainbow Prideの打ち合わせで、23人くらいの関係者が集まり様々な議題が登ったのだけど、一つ気になる話題があった。
『東京でパレードをやったとしても、二丁目にいるようなゲイのほとんどは、パレードなんかに関心はないということ。(これは二丁目に限ったことではないのかもしれないけど)』
前に二丁目で、飲み屋のマスターに言われたことがあった。
「私たちみたいな”普通のゲイ”は、女装とか裸になって歩くような気持ち悪いゲイと、一緒にはされたくないのよ。」
(普通のゲイとは、なんなのだろうか…?)
他のお店ではこんなことを言われた。
「私たちは、隠れて生きるのがいいのよ。騒ぎ立てて勝手にゲイの権利を主張しないでちょうだい!お願いだからそっとしておいて!日陰もののままでいいの!」
(あなたのことはそっとしておきます…)
様々な国でパレードに参加している僕でさえ、東京でパレードというのは、あまり効果がないのかもしれないと思う節がある。
交通規制が厳しくて、デモ行進としてでしか申請できないこと。一車線のみで信号によってブツブツ切れてしまうためまとまりがない。小さなグループになってしまうためなんの団体なのかわからない。パレードが始まって長いこと経つのに、一向に大きく広がっていかない…などなど。
ただ、そうだとしても、セクシャルマイノリティが平等の権利を勝ち取るためにパレードをやりたいという人がいるからには、出来ればそれを僕は応援したいと思う。
世界はゆっくりと変わってきている。日本だって、もっともっと僕たちが暮らしやすい国に変わってゆくことが出来るに違いない。
トロントのティファニーのショーウインドーを先日ここにも取り上げたけど、アメリカのティファニーの広告をご覧になっただろうか?http://www.cnn.co.jp/m/business/35058860.html
モデルではなく実際の同性カップルを使ったという一連の広告は、僕たちに勇気を与えてくれる。

串カツ 凡 北新地 & 梅田はがくれ本店

ズッキーニにフォアグラ

ウニとキャビア

天ざるうどん

特になんの予定もなく大阪に来たものの、ただでは帰れまい。(せめて何か美味しいものでも食べて帰らねば…)
『串カツ 凡』は、ミシュランの星を持つ北新地にある串カツ屋さん。なかなか予約が取れなかったのだけど、不意に行くことが出来た。
長い14席からなるカウンターには、真ん中に銅の美しい揚場がある。煙突のように天井に突き抜けているため、空中に舞った油が無駄に客席に行くことを抑えている。
清潔な店内と計算された食器そして美しいトイレは、さすがミシュランと思わせる。普通に串カツ屋さんで想像する油っぽい感じは皆無だ。
蟹のツメから始まり、京都の生麩、ズッキーニに大根おろしそしてフォアグラ、ウニの上にキャビア、胡麻豆腐、柿を揚げて生ハム…取り入れている食材の妙と豊富さに驚かされる。
温かみがあり、丁寧な接客も申し分ない。食材に関する質問にもとても親切に答えてくれる。普通の串カツ屋さんの5倍くらいする値段かもしれないけど、食通に人気があるのがわかる。(きっとこういう店は大阪人には受けないだろう)
庶民的な串カツを、趣向を凝らした一品料理にまで高めた料理人の勝利とも言うべきか。パリと銀座にも支店があるそうだ。
★串かつ 凡 北新地http://tabelog.com/osaka/A2701/A270101/27016793/
いつも並んでいる梅田の第3ビル地下二階のうどん屋さん『はがくれ』は、大将はじめ、店員さんの温かい接客にほろっとさせられてしまう。
うどんはかなりコシのある讃岐系うどん。生醤油で食べるのが一番美味しいと言われている。
生醤油のお客さんには、醤油を2回転半かけるように、混ぜないで食べるように…うどんによって、食べ方が違うので、とても丁寧に教えてくれる。
僕の頼んだ天ざるうどんも、うどんが来たらすぐに食べられるようにと、薬味ももう入れた方がいいなどとお節介をやいてくる。
すべては自分たちの提供するうどんを、お客さんに一番美味しい状態で食べてもらいたいというお店側の親切心だ。
食べ終わって帰る頃には、また来たいなあ…と思わせてくれる温かい大将。
★梅田はがくれ 本店http://tabelog.com/osaka/A2701/A270101/27000352/

えべっさん。

大阪に来てタクシーに乗ったら、「今日は、えべっさんの日ですよ」と言われた。
僕が、「え?えべ…?は?」と聞くと、どうやら恵比寿様のことらしい。
大阪では1月10日前後の3日間、この『えべっさん』をお参りして商売繁盛を祈願するらしい。東京で言うところの『酉の市』みたいなものだろうか。
友人のお母さんの施設に行く時に、西宮駅で沢山人が降りたので何があるのかと思っていたら、このえべっさんは西宮の恵比寿様が一番人で賑わうらしい。帰り道、他に予定もないので軽い気持ちで途中下車してみた。
屋台がどこまでもひしめき合い、あまりにも人が多いので警察が赤門から入れる人数を規制している。暫く群衆に囲まれて立ち往生しながらやっとの思いで本殿に辿り着いた。
大きな本物の本鮪が置いてあったり、グリコなど各社が食べ物を奉納していたりして、そのパッケージのせいかなんだかほのぼのとする光景だ。
熊手や笹が売っていて、僕もせっかく来たのだからと、笹(ニセモノ)を買ったのだけど、改めて東京とは違うなあと思ったのです。
東京の酉の市は、ほとんどの人が「あ、今日は偶然酉の市やってるみたいだから、ちょっと覗いていこうか?」くらいの気持ちだけど、大阪はちょっと空気感が違っていてこの『えべっさん』に本気なのです。なんだか、みんな必死…。
なんでも、10日の朝6時の開門とともに、男たちが本殿目指して福男の認定を受けるために疾走するらしいのです…
そんな血眼な大阪人に囲まれて、今年の商売繁盛を願ったのでした。

友人のお母さんに会いに。神戸へ。1

Kは大分でお留守番をさせて、ひとりでふらりと大阪に来たものの、決めていた予定もなかったので、不意に思いついて友人のお母さんに会いに行くことにした。
お母さんは先月90歳になったばかり。身体のどこかが悪いわけではないのだけど、足腰が弱ったこともあり数年前から施設に入っている。
数年前、お母さんがまだ元気な時は、時々東京に遊びにいらっしゃっるたびに、僕も一緒に食事をしたり、お酒を飲んだりしたものだ。
それが、80代後半にさしかかり、小さな段差で何度か転倒して次第に足腰が弱くなり、今は歩行器か車椅子を使って歩くようになってしまった。
なんの連絡もせずひょっこり顔を出した僕を見るなり、お母さんは涙を流しはじめた。
「あらぁ…まぁ…東京から遠いところをわざわざ…ありがとうございます…私なんかに会いに来てくださって…」
僕は、「大阪に遊びに来たのですけど、大阪から近いのでお母さんに会いに来てみたんです」と答えたのだけど、お母さんはその後も何度も泣いていた。
人間の感情の中で、最もつらいのは、『寂しさ』なのかもしれない。
様々な理由があって施設に入った時に、お母さんは暫く、寂しくて寂しくて空を見ながら夜通し泣いたそうだ。周りは痴呆の人なども多いし、全く知らない人と話すことも難しく、施設での生活はやはり今までの暮らしとは違っていたのだろう。
「刺繍が好きだから今でもしたいんですけど、針の穴が小さくて手元が見えないから糸を通せないし、90にもなると細かい作業がとても億劫になってしまうんですよ…」
90歳になった時の自分は、なかなか想像出来ない。でも、今の僕でさえ細かい文字が見えなかったり、離さないと見えなかったり、暗い場所だと見えにくかったり、昔の自分とは明らかに変わって来ているのはわかっている。
僕たちのように子どもを持たないゲイは、お母さんのように年をとって行った時に、いったいどうやって生活していくのだろうか。
周りに時々顔を見せに来てくれる人はいるのだろうか。
誰にも迷惑をかけずにひとりで暮らしていけるのだろうか。
愛する人は、そばにいてくれるだろうか…。
自分も年をとっていくことを、もっときちんと考えないといけないと思ったのでした。
歩行器でエレベーターまで見送りに来てくれたお母さんに、「また来ますからね!」と手を振ったのだけど、お母さんはこちらを見ながらまた涙を浮かべていた。

業界人。

実は、タレント事務所の社長やマネージャーと会うのが苦手だ。さらに言うと、業界で大御所で結構面倒くさいと言われているようなカメラマンやスタイリストやヘアメイクと会うのも苦手だ。
「だって…なんだか怖くないですか?」
でも、僕の仕事柄そういう人に会って一緒に仕事をしなくてはならず、今日はその二つが1日のうちに重なっていたので朝から憂鬱な気分でいた。準備を滞りなく出来ているかチェックして、どうやってこちらのやりたいことを通すか考えて、頭の中で相手が言いそうなことをシミュレーションをしていた。
手に汗を握り締めながら、実際にはじめて会った今日の社長は、噂とは違っていてとてもまともな人だった。仕事に対して真面目なので、どこかで難しいという話が流れたのかもしれない。打ち合わせが終わる頃には、社長を抱きしめたいとさえ思っていた。
そして、社長との打ち合わせが延びてしまい、20分遅れで恐る恐るスタイリストに会いに行くと、こっちが拍子抜けするくらい柔らかくまともな人だった。カメラマンから、ちょっと厄介だと聞いていたので、どうやってこちらの意図を通そうか頭を悩ませていたのだけど、それも杞憂で終わった。
仕事柄、有名無名問わずさまざまな業種の人に会って来た。いつも思うことは、実際に本人に会ってみないとその人のことはわからないということ。テレビやネットでどんなに変な噂が流れていたとしても、本人は実際にはとてもきちんとしたまともな人だったりするからだ。
緊張が一気にとけて、半ば放心状態になりながら、大阪行きの新幹線でビールを開けたのでした。

Henry quir

10年以上前だろうか。
撮影のためにパリに行った時に、右岸にあるHenry Cuir(アンリ・クイール)でこのカバンを買い求めた。
アンリ・クイールは、その昔、エンリー・ベグリンというブランドでBARNEYS NY や Hemisphere などで取り扱われていた革製品のブランドのデザイナーが独立したブランド。クイールは、フランス語で革という意味だそうだ。
このカバンを持ち歩いていると、様々なところで声をかけられる。
どこで買ったんですか?
革が馴染んでいい感じですね。
いらなくなったら僕にください…。
10年も使って底の隅は擦れて穴が開いてしまったため、日本のアンリ・クイールに持ち込んで修理をしてもらったのだけど、四隅をきれいに補強してくれた。
買った時はさすがに高いと思ったカバンでも、10年も修理をしながら使っていると、自分の身体の一部のようにも思えて、へたへたになった今も手放せないでいる。
こんな風に、一緒に年を重ねていけるものが、僕は好きだ。
★Henry Cuirhttp://www.henrycuir.jp

天空からの招待状

ジュディ・オングの「涙が流れた・・・」というコメントを読んで、ずっと気になっていた台湾映画『天空からの招待状』は、素晴らしいドキュメンタリー映画だった。
監督は、台湾政府の仕事で20年以上台湾の空撮を続けて来たチー・ポーリン。空から見る自分の国の変わり続けてゆく姿を目の前にして大きな決断をした。それは、自分の仕事を捨て、借金を背負い込み、スポンサーを見つけ、台湾人への警笛ともなるドキュメンタリー映画を制作すること。監督の熱意は、巨匠ホウ・シャオシェンの心を動かし、3億3500万円以上の制作費が集まった。
映画は、はじまりからとても美しい大地や川や海の映像が流れる。それは地球が自ら長い時間をかけて作り上げて来たため息の出るような芸術品のよう。音楽も素晴らしいし、原住民を尊重して描いている姿勢も温かい。そしてナレーションもおしつけがましくなく耳に入ってくる。
台湾はその昔、『formosa(麗しの島)』と呼ばれたほど美しい島だったのだ。先住民が暮らすその島に、中国本土から漢民族が逃れて来て今の台湾の礎を築いた。
やがて映像は、次第にこの島の暗部さえも同じように映し出すことになる。
先祖は、経済復興こそがこの国が幸福になる道だと信じて黙々と働き、家族を養い、生きてきた。そしてそれを引き継ぎ、苦難の道を自ら切り開いて来た道が、本当に幸福に続く道なのだろうかと、来し方をつぶさに見せつけられることになる・・・。
この映画は、台湾という小さな島国を追ったドキュメンタリーであるけれども、我々の日本を含むすべての国に向けての警笛でありメッセージに見える。
一緒に見た台湾人の友人は、「自分なんて、結局なんにも出来ない・・・」と無力感で呆然としていたのだけど、今起こっている現実を一人一人が知ることこそが意味があることなのだと思う。
血が流れるように汚染した川の映像は、見た者の胸に深く迫り、それぞれの日常生活の中で出来る様々な選択にも、影響を及ぼすに違いない。
僕は観終わって、なんだか胸が締め付けられるような痛みを覚えた。それはもしかしたら、ジュディ・オングの言っていた涙に共通する思いなのかもしれない。
★天空からの招待状http://www.tenku-movie.com

F先輩。

ロビin 会議室

Fさんは、僕が入社した時からそばにいたゲイの先輩。僕の一回り以上うえくらいだろうか。
髪は金髪で時々カラーコンタクト、ベンチプレスで140キロ上げたこともあるという身体自慢で、ドルガバやDsquared2のピチピチのシャツを着て、前ボタンを開けて胸の谷間を強調しているような…。そんな風貌ゆえに、会社では知らない人がいないくらい有名で、おまけにその派手なありようからゲイだということを誰もが疑わない存在だった。
Fさんは、僕がゲイだということもすぐにわかり(こんなに普通っぽいのになんででしょうね…?)、昔はよくふたりでランチに行ってFさんの恋話を聞いたものだ。Fさんは世話焼きのおばさん体質なので、たとえば僕が会社を休んだりしたら、すかさず家に電話がかかってくる。みんなが席にて聞き耳を立てているのだろうに大きな声で、
「どうしたの?熱はないの?すぐに医者に行った方がいいよ!」
そんなやりとりを聞いていた他の社員たちは、勝手に僕だけがFさんのご寵愛を受けていて不思議に思っていたに違いない。
会社内で何度か移動があり、Fさんと離れた後はなかなか食事に行く機会が減ってしまったのだけど、今日、僕がプロダクションに出かけようとする夕方に、突然Fさんが僕の局に入って来て僕を呼ぶので、何か話でもあるのかと思ってふたりで会議室に行った。
するとFさんは、袋の中から『ロビ』というロボットを出して、僕に見せたいから持って来たと言う。机の上でスイッチをつけると、ロビは動き出し、自己紹介をして、僕たちの話に受け応えしてくれた。その愛らしい動きもさることながら、ロビを見つめるFさんの顔が面白くて笑ってしまった。
ロビとは、毎月部品が届いて自分で組み立ててゆくロボットで、何十回にも渡りロビの部品が届き、それを会社で毎回組み立てて、やっと完成したのだということ。総額15万円くらい!!!もうすぐ60歳になるかもしれないFさんは、会議室でロビをいじって楽しそうに微笑んでいる。
こんなうちの会社って大丈夫だろうか…とも思うけど、訳知り社員曰く、
「つまり、『うちの会社の豊かさの象徴』ってところですかね…」
そして続けて、「ただしさんも似たり寄ったりですけどね…」と言うのだった…

からだとこころ。

実は毎年のことなのだけど、11月から12月になると旅行や仕事の忙しさでジムに行く足が遠のいてしまう。今年は9日間カナダに行っていたため、およそ1ヶ月間ジムに行かずに過ごしてしまった・・・。
筋肉自体は、1ヶ月間重い負荷をかけることを休んだとしても、日常生活を続けていれば全体としての量は損なわれないということが証明されているらしいけど、身体に全体的に張りがなくなってきたという実感は騙すことが出来ない。
長く休むと、次にジムに行くこと自体がより億劫になる。そこで怠惰な気持ちに鞭打ち、新年はじめのジムに行って来た。
案の定、肩甲骨は硬くなり身体が全体的に重いので、今日は部位別ではなく身体全体の可動域を広げることを中心にトレーナーと1時間身体を動かした。(いつもは週に3日間、胸の日、背中の日、肩の日と分かれている)
運動をすると、呼吸とともに筋肉、関節、肩甲骨など、自分の身体の一部に意識をぐっと集中することができる。運動後は、全身に疲労感を感じるけど、それは細胞を再生させるために身体の中がダイナミックに動きだした証。運動のせいでしばし日常の思考から離れていた頭は、また違ったアングルで物事を捉え直す機会を与えられる。
お正月、久しぶりにずーっと東京の家で過ごした僕は、本を読んだり、掃除や料理なんかをしていたのだけど、家にいてどんなに心地よい日であっても、昼間は一度外に出て太陽に当たるように心がけた。
身体が外の風に触れ太陽にあたることで、身体全体が喜び細胞が活性化される気がする。風は身体だけではなく心にもそよぎ、太陽はじんわりと心まで温めてくれる。
気分が少し停滞していると感じた時は、身体を動かしてみるといいかもしれない。急に違う考えが浮かんだり、もしかしたらほんの少し気持ちが軽くなることもあるだろうから。
そしてもしも冬の寒さで心が縮こまってしまったら、散歩をしたり、太陽にあたったり、そうでなければお風呂に入るだけでも身体に刺激になり、じんわりと温めてくれると思う。
からだとこころは、つながっている。

ショート・ターム

昨年11月からやっていたのに、週末ずっと不在が続いたため見逃していた映画『ショート・ターム』をやっとシネマート六本木で観ることが出来た。僕にとっては今年2本目の映画。
一年間に100本以上の映画を劇場で観ているのだけど、その中でも時々「完璧だな…」と思う映画がほんの数本ある。この『ショート・ターム』も、そんな完璧な映画の一つだった。
『ショート・ターム』は、18歳までの問題児が預けられる施設のこと。その施設でのケアマネージャーとその同僚、そして子どもたちの姿を描いていく。
映画が始まるやいなや冒頭から、「なんか、凄いリアリティだな…」と引き込まれるのだけど、それは監督の透徹した演出だ。主役のブリー・ラーソンの演技に圧倒される。恋人役のジョン・ギャラガーJrという人、そして子どもたちも素晴らしい。
はじめは僕も、「なんだか問題児だらけで大変そうだな…」くらいに思って眺めていたのだけど、子どもたち一人一人の姿をケアマネージャーの目を通して見ているうちに、繊細で今にも壊れそうな生きざまに目が離せなくなる。そして、やさしく強く賢い大人であるはずのケアマネージャーの内面にも、先が見えない真っ黒な暗闇が広がっているのがわかる…。
映画の置かれている状況は暗く重たく感じられるが、映画全体を貫いているテーマはこの上ない愛とやさしさだ。
傷ついた人は、その痛みを味わったことのある人や、その痛みを想像することのできる人によっていつしか癒され、救われてゆくのかもしれない。
人間の愛とやさしさを描いた、奇跡のような作品。
★ショート・タームhttp://shortterm12.jp/sp/