粉もの文化。

ネギマヨ

明石焼

お好み焼き

大阪は、言わずと知れた『粉もの文化』の街だ。考えられないことに、ランチで焼きそばにご飯がついてきたり平気でする。
Kが来たので、ふたりでがっつり安くて美味しいB級グルメを楽しんだ。
『はなだこ』は、ネギマヨで有名なたこ焼き屋さん。この梅田界隈、地下も含めると相当の飲食店が入り乱れていて、更にどこも道が似ているので場所がわからなくなりやすいのだけど、阪急の隣なので場所的にとてもわかりやすい。
東京の多くの屋台のたこ焼きは、作った後に時間が経っていて、悲しいことに外側が硬くなり、中とは隔離され別物になっていることが多いのだけど、この店のたこ焼きは、熱々を頬張ると、口の中でとろけるような中身が交わり、美味しさがハーモニーのように一体となり、複雑に感じられる。
その『はなだこ』の奥にあるお好み焼き屋さんは、『さくら』と言ってこの辺では人気店。そして、そのずっと奥を左に曲がった所に明石焼のお店『えき亭』がある。
大阪の人は、明石焼にライバル意識が強いのだろうけど、僕は、明石焼とたこ焼きは、全く別の食べ物だと思っている。熱々の明石焼を出汁に浸して頬張ると、あったかい出し巻き卵を食べている気分になる。幸福だ。(明石焼の台がなぜ傾いているか知ってますか?なんと!太い方から先は細くなってゆくタコの足を表しているから。上に乗った明石焼は、吸盤を表しているのです!)
お好み焼きは、沢山店がありすぎて、そして、どこも土日は並んで待たなければならないため面倒くさい。今回、パレードの前にアメリカ人の友人たちと5人で入るために、時間もなかったのでLucuaの上に入っている桃太郎へ。
アメリカ人の友人が太っていて、備え付けの席にぴったりと収まったのが笑えたのだけど、キムチやチーズの入ったお好み焼きを、僕ははじめて食べた。彼らも、パンケーキみたいなものだと説明されたら、頷きながら食べていて安心した。
★はなだこhttp://s.tabelog.com/osaka/A2701/A270101/27012248/
★えき亭http://s.tabelog.com/osaka/A2701/A270101/27001909/
★桃太郎 ルクア店http://s.tabelog.com/osaka/A2701/A270101/27057102/

常夜燈。

パレードのために大阪に来た。
Kや、みんなは明日入って来るので、今日だけは僕一人でのんびりとした大阪だ。
夜に着いて、おでんの名店『常夜燈』へ。この店は、『美味しんぼ』にも載ったという有名店。
梅田からすぐの店は、まだ寒くなっていないためか、一人でも簡単に予約が出来た。店に入るとやさしそうなおばあさんが案内してくれて、カウンターに座ると白髪のかわいいおじいさんがニコニコと迎えてくれた。
このおじいさんが大将で、なんと、83歳現役。
一度、仕事を下の人に任せて退こうとしたのだけど、お医者さんに仕事を続けた方がいいと言われて、続けることにしたそうだ。
この店は、関東の醤油の色のつゆではなく、関西のしっかりとした出汁の効いたつゆだ。これを、『関西だき』と言うよう。
中の具は、どれも丁寧に一仕事加えてある。ロールキャベツは、中身ではなくキャベツがメインで、煮すぎてないし、袋は、ごぼうと人参がたっぷり入っている。
大根は、季節によって使う大根が違い、シュウマイは、豚肉に生姜が効いている。
この店の魅力は、何十年もおでんを作り続けて来た大将と、時々話をしながらおでんをつまめることだろう。
このおじいさん、おばあさんに会うためだけにでも、この店に来たいと思った素晴らしい店。
★常夜燈http://s.tabelog.com/osaka/A2701/A270101/27000614/

ミナのとり、リサの鳥。

KLIPPANの毛糸

とぼけたリサのハト

リサの手書きのメッセージ

社長の友人でもあり、今回カタログのアートディレクションをお手伝いさせていただいた会社の『ミナのとりリサの鳥』パーティーに出席させていただいた。
代官山のヒルサイドテラスのゆったりとした時間が流れるギャラリーで、『KLIPPAN』のブランケットは、ミナ・ペルホネンの皆川さんの大胆な鳥のデザインと、リサラーソンによる時代を超えた鳥のデザインが響き合い、素晴らしい展示になっていた。
リサラーソンの作品は、僕は陶器のブルテリアやカモシカを持っているのだけど、彼女の選ぶ動物の独特なフォルムは、温かみがあり愛情に満ちている。今回初めてそのカタチが、そのまま温かいブランケットになっているのだ。
『KLIPPAN』というスウエーデンの会社は、糸を紡いで134年にもなる老舗ブランド。最高級の羊毛を使い丁寧に織られたブランケットは、一度手にとって使った人ならばこれから先の人生で、二度と手放したくないものになると思う。
★ミナのとりリサの鳥http://www.eoct.co.jp/klippan/klippan2014aw/

irodiri「ホームページができました」

「アメリカから友人カップルが来るので、一緒に食事しませんか?」
妹的存在のGからLINEがあり、「まったく知らない人だけど、これも何かの縁かな?」などと思いながら、『irodori』へ。次から次へと人が来て、あっという間に『irodori』は満席になってしまった。
遠くのテーブルには、トランスジェンダーやアライの友人たちが楽しそうに話していて・・・すぐそばのテーブルは、僕の美術学校時代の先生と、なんと会社の先輩が芸大の同級生だったようで一緒に来ていた。
一番驚いたことは、隣のテーブルのお客さんが、このブログを見て来た!という『東京女子医科大学付属青山病院』の人たちだったことだ。(以前ここに、この病院の素晴らしさを書いたことがあるので)
今日も『irodori』は、様々な人が偶然に訪れ、交わり、次の何かに繋がっていったのだと思う。
いろいろな人の「美味しい!」の笑顔が溢れるこんな場所を作れて、ほんとうによかった。
★『irodori』のホームページが出来ましたー→http://irodori-newcanvas.com
(オープンして、あっという間に5ヶ月が経ってしまったのですが・・・汗)foodメニューや写真なども見られますので、ぜひご覧ください。

オルテガのベスト。

グレー、白い、赤、青、4枚持っている。

昼間は晴れると27度と暑く、朝晩は15度に近づいて来たこの頃、着るものに困ることがある。
秋物のジャケットだとかさばるし、まして夏物ジャケットなど、ゲイは間違っても10月に着てはいけない。
そんな時重宝するのが、ベストだろう。僕がよく着ているのは、『オルテガのベスト』。
『オルテガのベスト』は、ニューメキシコ州チマヨにあるオルテガ社で作られている。一つ一つが職人の手織りで作られているため、そのどれもが模様が違っている一点物なのだ。目の詰まったウールは、着ているだけで身体を温めた状態に保ってくれる。
実はこの『オルテガのベスト』、僕は高校生の頃から身につけていて、25年以上になろうとしている代物だ。
高校の頃から変わらず身につけているものは他にもあって、靴のAlden、スニーカーのNew Balance、Pendletonのシャツジャケット、Boubourのコートなど、いくつもある。
一生のうちに、好きになるものは限られている。
身につける洋服だってきっと数えることが出来るだろう。取っ替え引っ替え新しいものに手を出す時期もあったけど、結局いつか、自分の好きなものに帰ってくる。
この先も変わらず、本当に好きなものを、たいせつにずっと身につけていきたい。

秋きぬと。

秋きぬと
目にはさやかに見えねども
風の音にぞ 驚かれぬる
台風が凄い勢いでやってきて、東京を掃除してあっという間に去っていった。
風が吹いたら、半袖で歩いていた腕に秋を感じた。
空気を思いきり吸い込んだら、胸の奥の方がちょっと痛かった。
空が高かったり、葉っぱが色づいて落ちたり、早く暗くなったり…ふとした拍子に淋しさを感じる秋が苦手だ。
数年前に、伊勢丹で羊の毛のクッションカバーを買った。これが本物の羊の毛ということで、触り心地がたまらない…
一つ一つ柄が違うのは、その羊の毛の色そのものだということ。(毛を刈られた羊さんは、どうか元気に暮らしていてほしい…)
ちょっと肌寒く、寂しいひとりの時には、毛のクッションを抱っこすると温かい。

キース・ヘリング

irodoriの壁面を含むMoCAに、キース・ヘリングのポスターが、中村キース・ヘリング美術館http://www.nakamura-haring.comのご厚意で飾られることになった。
キース・ヘリングは、ニューヨークの地下鉄の落書きで一躍時の人になったアーティスト。31歳という若さでエイズで亡くなった。
僕は学生の頃、『ワタリウム』で働いていたのだけど、今でもワタリウムの向かいの小さな家の壁の落書きは、キースが個展の際に来日した時に描いた作品がそのまま残っているのだ。
キースの作品は、ものによってメッセージが強く、人種差別に鋭く切り込んだ作品もあるし、人類の大きな愛をテーマにした作品もある。
真っ白な壁に、キースの作品を飾ると、場の空気が瞬く間に変わり、なんとも言えないエネルギーが発散されているのを感じた。
ゲイへ向けられる差別や偏見、そして自らHIVと戦いながら、エイズへの偏見とも戦ったアーティストの作品は、今の僕たちの世界においてもなお輝きを放っている。

シンガポールからの友人カップル。

シンガポールから、LとJカップルがやってきた。
久しぶりの夕飯は、「しゃぶしゃぶが食べたい!」と言うので、赤坂の『ざくろ』へ。
なんでそんなにしゃぶしゃぶが食べたかったのかと聞くと、やはり前回一緒に旅行した鹿児島で食べた黒豚が忘れられないようだ。
残念ながら、鹿児島で食べるような黒豚がメインのしゃぶしゃぶ店は、東京にはそんなにない。同じ系列店はあるのだけど、『あぢもり』のようなスープにアジがついていてそのまま食べさせる店はないのだ。
楽しかった九州旅行を振り返りながら、大笑いしたのだけど、『松茸の土瓶蒸し』があったので、彼らに松茸を食べたことあるのか聞いてみると、ないと言うので、頼んでみた。
おちょこに出汁を注ぎ、まずはそのまま。香りを嗅ぎながら、どう思うか尋ねると、うっとりとした表情を浮かべて、「ワインでこういう匂いのものがあるよね?」と答えた。
「日本の素晴らしさは、四季折々のお料理があることだよね?」と、何度も香りをかぎながら、楽しんでいた。
彼らは、前回の九州旅行が本当に気に入ったらしく、来年は家族を連れて九州に旅行に来ると言っていた。
一緒に旅行をして、日本の様々な料理や温泉の開放感を味わって、もっともっと日本のことが好きになったようだ。
しゃぶしゃぶ屋さんを出て、タクシーの中で僕が彼らに質問をした。「ラップトップは、持って来た?しゃぶしゃぶ屋さんに置き忘れてない?」
前回別れ際にしゃぶしゃぶ屋さんでランチを食べた後、彼らはタクシーで去って別の所に行き、その後、ラップトップがないことに気づき、レストランで盗まれた!と大騒ぎをしたのだった。
結局、自分たちがホテルのコンシェルジュに預けていたという事の顛末だったのだけど、彼らをちょっといじめてやろうと、もう一度持ち出したのだ。
それを聞くや否や、タクシーの中は大笑いに包まれた。「あの時は本当にすまなかった!!!」
旅にはトラブルもつきものだけど、いろいろな体験を一緒にすることで、僕たちの絆もぐっと強くなったようだ。

Hのお見舞い。

仕事の途中に、友人のお見舞いに行った。
僕より一つ年上のHは、難病のためこの4〜5年は病院の入退院を40回くらい繰り返していた。
そして先日、首の手術をした。
首の手術というのは、神経が集まっているためよほどのことがない限り行わないのだろうけど、Hの場合は半身不随になりかけてしまったのだ。
そこで、首の骨と神経を離し、そこへ放射線を当てるという聞いたこともないような難易度の高い手術が行われることになった。その手術が出来るのは、日本の中でも3つの病院しかないようで、中でも有名な医師のいる都立駒込病院で執り行われた。
手術は無事に成功して、しばらく経って身体も元気を取り戻し、リハビリに励みはじめた頃、やっと僕も面会に行けるようになったのだ。
前にもこのブログに書いたことだけど、僕は常々、Hの強さを尊敬している。
僕のような弱い精神のものならば、何度も繰り返す入退院や得体の知れない病気の恐ろしさで、心が折れてしまっているかもしれないと思うからだ。
音楽家として活躍しながらも、自分のキャリアを今は諦めざるをえないことや、身体が言うことを聞かないもどかしさ…
同年代だからこそわかる、これから年をとっていくなかで、一人でいることの不安など、短い時間の中で色々な話ができた。
僕とKとのささやかな暮らしを、Hは遠くから微笑ましく見守ってくれている。
またHの身体が回復したら、僕たちのレストランirodoriで一緒に食事が出来たらいいなあと思う。
毎日の不自由な病院での生活の中で、Hはさまざまなことを考え、人生で何がたいせつなのかを見通しているかのように見えた。

Bridge7周年パーティー。

アナと雪の女王のエスムラルダ

僕のホームバーであるBridgeが、7周年を迎えた。10時、12時、2時と、スタッフ、エスムラルダ、まさや君によるパフォーマンスが繰り広げられた。
エスムラルダのパフォーマンスは、新宿二丁目ならではの安っぽさが満載で、いつも「本当にくだらないなあ…」と思いながらも笑ってしまう。また、プロの音楽家であるまさや君の歌は、胸に迫るものがあった。
そしていつも感心させられるのは、スタッフたちのパフォーマンスだ。昼間の仕事を持ちながら、きっと一生懸命練習したのだろうなあと思うと、かわいくて仕方がない。
Bridgeの7周年の歴史は、そのまま僕自身の、恋愛の喪失から再生への歴史に重なっている。
楽しい時は、ともに笑い。一人では立っていられないような時も、Bridgeの友人たちが支え続けてくれた日々がある。
Bridge7周年、おめでとう!
そして、ありがとう。