マルタのことづけ

難病のマルタと、盲腸で緊急入院したクラウディアが、ベッドが隣同士になったことから不思議な交流がはじまる。
40代半ばのマルタは、不治の病に冒されていて余命がそれほどない。旦那はすでに亡くなり、4人の子どもたちに囲まれて暮らしている。一方クラウディアは、今までの人生ずっと孤独で生きて来た20代の女の子。家族というものを知らない。
死を間近に控えたマルタと孤独なクラウディアが出会うことによって、クラウディアの人生に灯火がともり、マルタの家族もクラウディアの存在によって一層絆を深めてゆく・・・。
マルタという太陽のような母親の存在を観るだけでも、胸を打たれることだろう。
今まさに自分の命が燃え尽きようとしているのに、子どもたちとのごくありふれた毎日を過ごそうとする。そして、身寄りのないクラウディアに対しても限りなくやさしく、愛を溢れるように降り注ぐ・・・。
マルタの命は、子どもたちやクラウディアの中で形を変えて生き続けてゆくだろう。
★マルタのことづけhttp://www.bitters.co.jp/kotoduke/

ひろ作。

かますの炙り

くもこと銀杏と舞茸

そば

新橋で、素晴らしいランチを食べることが出来る店のひとつは、『ひろ作』ではないだろうか。
過去にミシュランの星のついた店『ひろ作』は、ランチでも2800円もするそばを含む小会席だ。大将は、60代後半から70代だろうか?奥さんらしきいかにも普通のおばちゃんもいて敷居の低い店だ。
最初に、そばの実といくらの突き出しが出され、食べるペースにしたがって大将は最適な頃合いに料理をそっと出してくる。湯葉の炊き合わせ、かますの炙り、くもこと銀杏と舞茸の天ぷら、甘鯛のご飯の蒸し物が続く。
その後、透き通るようなおそばが出され、1時間かけてゆっくりと楽しんだ食事のクライマックスを飾る。
僕は、弟のようにかわいがっていた後輩が、1年ぶりくらいに「食事をしましょう」と誘って来たので、久しぶりの再訪になったのだけど、彼の出版祝い、結婚祝い、出産祝いもかねて、うれしいひとときを過ごすことが出来た。
ゆっくりと一品一品、丁寧に作られたお料理をいただきながら、たいせつな人と、たいせつな時間を過ごすことが出来る店。
★ひろ作http://tabelog.com/tokyo/A1301/A130103/13015266/

2周年目の台風。

先週の大阪で迎えた日曜日、僕たちはつきあい始めてから2周年の記念すべき日だったのだけど、台風の進路が気になり、最後の月曜日は早朝帰らないとならないかな…と話していた。そして、朝起きたらKの書き置きがあった。
「ただしくんには、もっとただしくんに合った人がいると思います」
ホテルの玄関に震えるKを送っていき、僕は一度部屋に戻ってチェックアウトした後、慌ててタクシーで新大阪に行くと、出発前のKを見送ることが出来た。
涙を浮かべたKの顔を見ながら、西へ向かう新幹線のドアが閉まり、なんとも言えぬ気持ちのまま僕も東へ向かう新幹線に飛び乗った…
大阪初日はアメリカ人の友人たちが12時に到着するので、僕がお好み焼き屋をいくつかあたり、予約がどこも出来なかったので早めに店に行き、彼らが来そうなタイミングで並び、なんとかランチを食べた。
Kは夜勤明けで、13時過ぎに大阪に到着。パレードが14時からだったので、ホテルにチェックインするや否や、タクシーでパレード会場へ。Kは、何も食べぬままパレードを歩き、終わった頃に小さな声で僕に、「お腹すいた…」と言った。
慌てて大阪に戻り、二人で明石焼を食べたのだけど、その後も夜のレストランや飲み屋なんかでも、アメリカ人の友人たちにかかりきりで、Kのことを十分に思いはかってあげることが出来なかったのだ。
東京と九州で離れて暮らす僕たちは、ほぼ一ヶ月に一度しか会うことができない。そんな限られた時間の中で、一生懸命お互いに努力をしてやっと2年を迎えけることが出来たのだ。
男同士でつきあっていると言っても、僕たちふたりの関係を保証するものは、実は何もない。お互いのことを信じ続ける以外にないのだ。
「愛されている」「たいせつにされている」という気持ちは目には見えないけれども、離れて暮らすふたりにとって、とても重要なことだ。
Kは、今回の旅行で僕にたいせつにされていないと感じてしまったのかもしれない。(僕に余裕がなくて、疲れてしまっていただけなのだけど…)
その後日にちが経って、ゆっくりと誤解もとけて、Kにまた笑顔が戻った。(ホッ)
人と人が関係を続けていくことは、とても難しいことだ。2年を経た今でも、いつもまた、新しい波がふたりの前に立ちはだかる。

黄葉。

ベランダのジューンベリーが色づいて来た…ということは、気温が15度を切ってきたということ。
春の桜に似た清楚な白い花、その後の芽出しの美しさ、夏の爽やかな緑と、綺麗な真紅に変わる実、黄金色の黄葉、そして落葉した後の裸になった樹の姿の美しさ…。
一年を通じて楽しませてくれる、決して手放したくないと思える愛おしい樹。

“HAPPY PRIDE”

来週末に控えた台北のパレードのために、Tシャツをデザインした。
昨年は、漢字の台北と東京を繋いだのだけど、パレード自体が『Taiwan LGBT Pride』なので、高雄や台南の人が見ても喜んでもらえるように、今年は英語で上下にした。
台北のパレードは、6万人と言われるほど規模が大きく、車道も片側を止めて目抜き通りを練り歩く、NYC PRIDEに近い巨大なものだ。沿道には人が溢れ、写真も沢山撮られる。東京でいう、表参道や銀座の中央通りが虹色の集団に占拠されることを想像して欲しい。
東京や大阪のパレードでの見え方とは違って、台北ほど巨大化したパレードでは、もはや自分たちがLGBTだなどと掲げることよりも、LGBTの中でもどんな団体なのかというところが、他の団体との差別化になってくる。
今年は、『Tokyo Rainbow Pride 2015』という、東京のパレード団体と東京のウィーク団体が合体して新たな団体になってから初めての他国のパレード参加になる。台湾でも日本の団体としてしっかりアピールをして、現地の人とも交流をはかるのが目的。
Kははじめての台湾旅行で、随分前からワクワクしているし、僕も久しぶりの台湾旅行を、とても楽しみにしている。

ウィークエンドはパリで

『ノッティングヒルの恋人』の監督でもあるロジャーミッシェルが、今度は熟年カップルを描いた。
新婚旅行の思い出の地パリに、結婚して30年を迎えたイギリス人の夫婦がもう一度旅行をするという話。生真面目でやさしく、どこか自分に自信がないニックと、男勝りで好奇心旺盛なメグという夫婦が織りなすドタバタ劇。パリの街の美しさとマジックを閉じ込めたこの映画は、パリの空気を存分に感じることが出来る。
この映画の素晴らしいところは、60歳を迎えるであろう夫婦の関係が、とてもリアルに表現されていることだろう。
ふたりは30年間ともに暮らしてきたので、深く愛し合っているようにも見えるし、30年間も経っているのに、まだそんな些細なことで喧嘩をするの…?と愕然とするような関係でもある。
生まれも育ちも違うふたりが出会い、結婚をして、子どもも育てあげ、ふたりがまたお互いに向き合った時に、いったい何が残されているのか・・・。身体もずいぶんと衰えて来て、お互いに対する興味や関心は薄れ、自分の人生を省みた時に、いったい何が残っているのか・・・。
都内では、シネスイッチ銀座でしかやっていないのだけど、ハラハラとふたりの行方を見守りながら、最後にはじんわりと心に迫ってくる素晴らしい映画。
★ウィークエンドはパリでhttp://paris-weekend.com

MOTI

チキンカレー

タンドリーチキン

「世の中に、こんなにうまいカレー料理があったなんて!」
僕が高校の頃、はじめて食べた本格インド料理は、六本木の『MOTI』だった。その頃の東京では、この『MOTI』と、元の麹町にあった日テレのそばの『AJANTA』しかなかったのではないだろうか・・・?
僕のスポーツクラブは六本木にあってお昼時にはどこも混み合うのだけど、ふと懐かしくなって『MOTI』に行ってみた。店内は入れ替わりに人がどんどん入って来て、ものすごいいい感じの賑わいを見せていた。
頼んだのは、ちょっと辛めの『チキンカレー』と『タンドリーチキン』。これが、お皿を舐め尽くしたくなるほど美味しかったのです。
こんなことを書いている今でも、またあのカレーが食べたいなあ・・・と思ってしまう。
★MOTI http://www.motijapan.com/index/#/home

KANSAI RAINBOW PARADE

踊りながら手を振るおばちゃんたち。

「大阪のパレードは、どうでしたか?」友人からメールをいただいた。
扇町公園には、思ったより多くの人が集まっていた。おそらく、代々木公園の1/4くらいだろうか?パレード自体は、1000人以上いたのではないだろうか?東京と同じで、あくまでもデモ行進のため、1車線の中をゆっくりと交通規制に従って3キロの道のりを歩いた。
僕は、白いシャツにデニム。手にはプラカードも持たず、今回パレードというもの自体に初参加のKと友人たちと一緒に、ゆっくりと歩いた。
道行く人は、「いったいなんの団体なんだろう?」と思っただろう。ところどころで、信号が青なのに僕たちがいるので警察に行く手を阻まれた人たちは、「なんなの?この邪魔くさい団体は???」と露骨に顔に書いてあった。(さすが、大阪だ)
何度となく東京でもパレードに参加して、前回の東京パレードは冷静にすべてのパレードを見て、そして大阪のパレードに参加して思ったことは、
『伝わらなかったら、意味が無い』ということ。
もちろん、パレードに参加すること自体には、大きな意味がある。こうしてLGBTである僕たちは生きているのだと可視化することが一番の目的なのだから。
でも、それが沿道の人たちにきちんと届いて、いったいどういう団体なのかが理解されていなかったら、ただのどこにでもあるデモ行進となんら変わりはないのである。彼らはいちいち、「この団体は何の団体なのだろう・・・」などと考えて思いはかってはくれないだろう。みんなそれぞれ日常のほんの数十秒の中で目にする光景なのだから。
僕たちのパレードがなんの団体かわからなかったとしても、手を振ってくれる人たちがそこここにいた。
高いビルの窓ガラスを拭いている男性。マンションから覗き見る家族。通りの向こうで、音楽に合わせてみんなで踊りながら手を振ってくれたおばちゃんたち・・・。
たとえ僕たちのことが理解されていなくても、手を振ってくれることで、知らないうちにみんなは勇気をもらっていた。

さよならを言う時はいつも。

昔、10年間つきあった人は、僕の家にほとんど泊まっていて、朝会社に行く時なんかに彼を送り出した後に、道の角から消えるまで4階の窓から見送ったものだ。
その時に決まって彼は、こちらをもう一度振り向いて、僕が手を振るのを確かめてから、彼も、「バイバイ。バイバイ。」と言って手を振ってくれた。
彼には実は、奥さんがいた。
ある日彼が寝ている時に、寝言で誰かに「バイバイ。バイバイ。」と言うのを聞いた奥さんは、彼に聞いたそうだ。「誰にバイバイしてたの?」と。
新大阪の駅で、西へ向かうKを見送りながら、ホームで「バイバイ。バイバイ。」と言っていた。Kは、瞳の奥に色々な言葉を抱えたまま、僕に手を振っていた。
人は、一生のうちに何度、人を見送るのだろう。
また会えると知りながらも、さよならを言う時はいつも、胸の奥がかすかに痛い。

串カツとうどん。

若鶏の唐揚げ

鯛ちくわ天うどん

ぶっかけ肉うどん

大阪と言えば、串カツ。串カツはどこで食べても不味いということはなく東京に比べると驚くほど安いのだけど、あまり汚い店は嫌じゃないですか…そこで、この『名代 串カツ 松葉』へ。
『だるま』などの人気店に比べると、ちょっと落ち着いた雰囲気の店で、店内がベタベタしていないのが気に入っている。^^;
11品のコースで、団体割引で2100円。なんてかわいい値段なのだろう。若鶏の唐揚げが特に柔らかくて美味しかった。
大阪はうどんの街。本当は出汁のきいた刻みうどんが食べたかったのだけど、梅田近辺はほとんど日曜日がお休みで、ちょっと離れた『うどん屋 きすけ』へ。
この店は『鯛ちくわ天』のうどんが有名らしいけど、ちくわというものが苦手な僕は、ぶっかけ肉うどんにした。(ちくわって、中身に何が入っているのかよくわからない所が苦手なのです。蒲鉾も)
このうどんがもちもちしていて美味しかったのです。四国のうどんのように、しっかりとしたコシのある感じではなくて、噛むとモチっとしていて、言うなれば手打ちのパスタみたい。『鯛ちくわ天』を食べたKも、美味しいと喜んでいた。
一概にうどんと言っても、地域によって太さやコシが違っていて、それはまるで別の食べ物と言えるくらいに日本には多様なうどんがあるのだと思う。うどん万歳!
★名代 串カツ 松葉http://s.tabelog.com/osaka/A2701/A270101/27016690/
★うどん屋 きすけhttp://s.tabelog.com/osaka/A2701/A270101/27015342/