違い。

つきあっていくということは、お互いの違いを見つけ、それを認めたり、受け入れたり、乗り越えながら一緒に生きてゆくことなのだと思う。
たいていゲイのつきあいは、3ヶ月以内に別れてしまうことが多くて、僕の周りでは3ヶ月目を第1のコーナーとも呼ぶ人もいる。半年で第2のコーナーがやってきて、第3のコーナー、そして最後の第4のコーナーをうまく曲がれたら、やっと『つきあっている』と周りから認められるようなところがある。
別れるときの原因は、やはり『違い』なのではないだろうか?好きになる速度が違ったり、好きになる強さが違ったり、自分とは違う相手のどこかが許せなかったり・・・。
たとえば、歯を磨いて口をゆすぐ時に、僕は水道の蛇口をひねって、そのまま出しっぱなしにしながら両手で水をすくい口をゆすぐ。でも、相手によってはそんな行為が許せなくて、思わずコップを持って来て水を入れて、水道の蛇口をひねって止めてしまう人もいるだろう。
ご飯の食べ方から食器の使い方から、日常のすべての行いの中で、違いがどんどん見つかっていき、そのたびに考えることになる。『いったいどちらが正しいのか』と。
でも、本当は世界には正しいも間違っているもないのだろう。そんなことよりも、その違いを認めて、許せることができるかどうかなのだ。許せなかったら、その違いはどちらか、もしくはお互いの努力によって変えていけるかどうかなのだろう。
そして何年経ったとしても、その『違い』を見つけることがあると思う。でも、年月を経てつきあってきたふたりは、そのたびに乗り越えてゆく技術を身につけているから、乗り越えやすいのだ。でも、その『違い』が許せなくなって、もう努力ではどうにも解決できなくなってしまったとしたら、その時はお互いに次の人生を歩き出す時なのかもしれない。