8月の家族たち

本性を現したメリル。

メリル・ストリープとジュリア・ロバーツがそろってアカデミー賞にノミネートされた映画『8月の家族たち』の試写会チケットをSさんにいただいたので観に行った。(Sさん、ありがとうございました)
原作は、『August: Osage Country』という戯曲。注目すべきは、メリルとジュリアに加えて、サム・シェパード、ユアン・マクレガー、今をときめくベネディクト・カンバーバッチ、そして懐かしのジュリエット・ルイスという豪華な俳優陣だろう。
父親の失踪により、癌に冒された母親のもとに、なかなかそろわない3姉妹が戻ってくる。それぞれが連れている旦那や恋人、娘、そしておじさんおばさんが登場人物なのだけど、会話とそれぞれの表情によって次第に真実が暴きだされてゆく芝居らしい展開に、息をつく暇もなく引き込まれるに違いない。
メリル・ストリープは、ビッチを通り越してまるで、年老いて意固地になったゲイそのものだ(あなたの周りにもいるに違いない)。
まったく期待していなかったのだけど、ジュリア・ロバーツはこの役ははまり役だったのではないだろうか?直情的で気が強く、ストレートな表現がジュリアには似合う。
サム・シャパードは、「ああ、こんなに年をとってしまったのか・・・」と思ったけど、年老いても尚、神秘的でかっこいい。そして久しぶりのかつての天才女優、ジュリエット・ルイスは、今までどんな人生を送っていたのだろうか?肌の老化が著しかった。
『家族』という最も自分に近いはずの人間関係の中で、真実をついているが故に強く、残酷で、痛ましい現実を見せつけてくれた脚本と演出に讃辞を贈りたい。
★8月の家族たちhttp://august.asmik-ace.co.jp/#container(来週末公開)

選ばなかった人生。

不思議なことに、Bridgeに行ったら、3ヵ月前からこのブログを読んでいるという方に出会った。
彼は69歳。外苑前の僕の近所にお住まいのようだ。僕がこのブログの中に書いている『Bar 緑』の前も何度も通っているというので、驚いてしまった。
彼に、「あなたは、感情も、思ったことも、抑えることなくすべて曝け出しているだろうから迷いも何もないでしょうね…」と言われて、苦笑いしてしまった。
彼はその昔、二年半つきあった男性と一緒に暮らしていたらしいけど、長男でもあり、家を守らなくてはならないという気持ちが強くあったため、結婚する道を選んだそうだ。
「もう一度、人生をやり直せるなら、私は…」と言って何度も口ごもり、瞳の奥が潤んでいるようだった。
僕は、「今まで生きてこられた人生の中には、きっと素敵なことも沢山あったのではないですか?」と聞いてみた。
その人がどんな選択をしようが、生きてきた人生には、良かった面が確かにあり、すべてには意味があることだと思うからだ。
僕は、「今からではダメですか?今からもう一度、自分の人生を新しく生きるのは…?」と言ったのだけど、奥さんやお子さんのいる彼にとっては、それは容易なことではないのかもしれない。
彼だけが特別なのではなく、彼のように、本当の自分のセクシャリティを隠しながら、家族や社会の中で期待された自分であることを選び、生きているゲイが、この国ではほとんどなのではないだろうか?
これから先のこの国や世界において、ゲイやセクシャルマイノリティの人たちが、その人のままで生きてゆける世の中になりますように…。

消息。

友人の中には、別れた後もいい感じの交友関係を続けている人がいるけど、僕は、昔つきあった人と別れた後に、友人関係になることはほとんどない。
先日、「M(僕の前の恋人)は関西で入院しているみたいだよ。それもずいぶん重体らしい…」という噂を聞いたので、慌てて彼と唯一連絡をとっていた僕の友人Tに、Mの消息をつきとめてくれるよう頼んだことがあった。
Tが電話をして話したのだけど、僕が背後にいることがMには分かったらしくすぐに電話を切られた。
そして暫くしてまた別の友人から、Mのことを心配して訪ねられたのだけど、僕にはわからないので、「Mが元気かどうか、メールに返信があったら教えてくれないか?」とお願いしておいた。
その返信が返って来たと連絡があり、仕事で大忙ししているということを知ってホッとした。
Mとのことは、僕の家族にはカミングアウトしていなかったのだけど、その頃、Mは、僕が危篤になった時には、僕と一緒に写っている段ボール二箱以上ある写真を持って来て、家族に見せてでも僕のそばにいると言っていたことを思い出す。
僕も、Mと同じような思いで生きていた。
消息がなかなかわからなくなってしまった今でも、彼が健康で、幸福な毎日を送っていることを願わずにはいられない。

あたりまえのこと。

この4月から日本の大きな会社の新入社員になった台湾人のQが、先週1週間はホテルで缶詰めで研修だったのだけど、火曜日から現場に配属になったので、昨日メールをした。
『先輩に飲みに連れて行かれるだろうから、Qに大切なことを言っておきます。
社会に出て、先輩でも誰でも、ご馳走になったら、帰り際にきちんと、「ごちそうさまでした」と頭を下げてお礼を言うこと。
それから、翌朝会った時は、必ず「昨夜はありがとうございました」とお礼を言うこと。その朝に会えない人は、メモかメールで、必ず朝一番にお礼を伝えること。
とても大切なことだけど、教えてもらわないと思うので、伝えておきます。』
社会に出てからの礼儀は、親や人に教えてもらうものではなく、自分が見て学び取っていくものだろう。些細なことかもしれないけれども、きちんとお礼を言葉に出して相手に伝えるということは、ビジネスの上でも、親しい友人との間でも、とても重要なことだ。
周りの人たちに好かれかわいがられることは、自分の周りを、より気持ちのいい環境にしてゆくことに繋がってゆく。
「繰り返しこのメールを読みました。ありがとう。お母さん!」Qカらの返信が届いた。

おとなの恋には嘘がある

若い頃には、いつか運命の人が現れて、その人とずっと幸せに暮らすことを夢見ていた。
やがて僕にも恋人ができて、『ずっと一緒にいよう』と約束をしたのに、10年間で別れることになった。少し時間はかかったのだけど、そんな僕でも、もう一度恋愛をはじめてみて考えもかなり変わったように思う。
生まれも育ちも違うふたりがつきあってゆくということは、お互いの好きな点ばかりでなく、自分とは違う点を見つけることの連続だし、それを受け入れ、自分も変わってゆくような毎日ではないだろうか。
『白馬の王子様は、いつか目の前に突然現れるのではなくて、実は目の前の人が、いつの日か白馬の王子様だったと気づくことが出来るか』なのだと、今の僕は思っている。
そして、周りの友人たちには、ためらわずにまず、人とつきあうということをはじめてみることを勧めている。
前置きはともかく、映画『おとなの恋には嘘がある』は、とてもよくできたおとなのための恋愛映画だ。
離婚を経験して、大学生になる娘を持つふたりの男女がパーティーで出逢い、惹かれ合い、一歩を踏み出せるかどうかという話。
若い頃のように情熱に任せて生きることも出来ず、人と真剣につきあうことによって傷つくことや、失敗することを恐れるおとなの心理を、とても上手に表現した映画だった。
自分とは違うその人の習慣や行動を、受け入れられずに嫌だと思うか、それとも違いを受け入れてやっていくことが出来るか。
いわゆる美男美女の恋愛映画ではまったくない、味わいのある役者による、おとなの恋愛物語を堪能出来るに違いない。
★おとなの恋には嘘がある(シネマカリテにて)

アデル、ブルーは熱い色

カンヌ国際映画祭の最高賞を、レズビアン映画が飾ったというのを知って公開を心待ちにしていた。
映画は、3時間という長尺であるにも関わらず、じっくりと引き込まれ、主人公たちとともに恋愛の渦の中に巻き込まれ、息をのんだ。
アデルという17歳の高校生は、男の子とデートをしながらも、自分のセクシャリティに何かしっくりこない感じを抱いている。そんなある日、青い髪のエマと道中ですれ違い、胸が猫の舌でなめられたるようにざらつく・・・
これは、レズビアンというセクシャリティをモチーフにはしているけど、完全なる恋愛映画だ。
ふたりの生まれも育ちも違う人間が出会い、惹かれ合い、恋に落ち、やがて関係性を持つようになり、その中でまた問題が起き上がってくる。
ふたりの性格や、個性を、とても巧妙に描いている監督の力量に圧倒される。逆行の光の中でキスをするふたりの映像は、眩いばかりに美しい。
とりたてて凄いのは、性描写が半端ないということ。もし、レズビアンだったら、きっとこの映画を観て、官能的なふたりのセックスに酔いしれることもあるかもしれない。
ただ一つ僕としては、自分が女性の身体に対してなんの興味も持つことがないため、このリアルな性描写を生理的に好きになることができなかった。
それでも、この映画は他の映画が到達できなかったリアリティがあり、ふたりの捨て身の演技は賞賛に値するものだと言える。
★アデル、ブルーは熱い色 http://adele-blue.com

シンガポールのカップル。

JとLは、つきあって10年になるシンガポール人のカップル。Lの仕事をJも手伝っていて、数ヶ月に一度日本に来るのだけど、予定が合えばブリッジで一緒に飲むことが時々ある。
木曜日、クライアントとの食事の後でブリッジに駆けつけると、久しぶりのハグとキスをされ、ニコニコ顔のふたりだった。彼らはこの4月から1年間休業して、世界各地を旅行するのだと言う。まずは大好きな日本にやって来て、旅行にはLのお姉さんの家族4人も加わり、箱根から伊豆半島を車で周るらしい。ふたりとも、お互いの家族にカミングアウトをして紹介もしてあり、祝福されているというのもすごい。
シャンパンを何本も開けながら、「Tはなぜ早くシンガポールに遊びに来ないのか?お前は特別だから、うちの家に絶対に泊まって欲しい…」と何度も言う。
これは前から言われていることで、「お前は特別な日本の友人なんだ。バリ島に行く時は、僕たちのヴィラに泊まらないとダメだからね」と言って、豪華なプール付きのヴィラの写真も見せてくれる。
会うたびに、シンガポールに来いと言われて、しかも家に泊まれと言われて、僕は実は、それがなんだか怖くもあった。彼らは毎回、会うたびにボディタッチが多いのだ…。
それで今回、またシンガポールの家に泊まれと言う話が出た時に思い切って聞いてみた。「あの〜、シンガポールの君たちの家に泊まるのはいいんだけど、まさかそこで、3Pをするわけではないよね?」
それを言うや否や、ふたりは大笑いした。
「Tは、オープンリレーションシップなのか?」と聞かれ、「違うよ。僕はセックスは好きだけど、オープンリレーションシップの関係は無理だな…」と答えると、彼らも「僕たちはとても愛し合っているから、オープンリレーションシップなど考えもしないよ」と、ゲラゲラ笑いながら答えた。
これでLとJに挟まれて眠る妄想も、今日でお別れになった。
結局、翌日もブリッジで待ち合わせて色々な話をしながら飲み、8月に彼らが来日する時に、九州を一緒に旅行することになった。一週間弱をかけて、車でのんびり周ることに。その後、年内にシンガポールへ旅行することに。
これから、旅行のプランを立てるのだけど、億万長者のような彼らだから、すべての宿を一流のところにして、レストランも最高級を予約しなければならない。
一年間の休暇って、どんな感じなのだろうか?
世界には、沢山のお金を持ち、自由に生きている人たちがいる。

ウォルト・ディズニーの約束

ずっと観たかった『ウォルト・ディズニーの約束』を観たのだけど、正直、あんなに泣かされるとは思わなかった。
この映画は本当に感動的な仕掛けがあるのだけど、もし、『メリー・ポピンズ』をまだ観ていなかったら、この映画を観る前に必ず『メリー・ポピンズ』を観てから行って欲しい。というか、そうしないとこの映画の醍醐味の半分以上は楽しむことが出来ないだろうから。
映画は、ウォルト・ディズニー(トム・ハンクス)が、メリー・ポピンズを映画化したいがために、なんとかしてメリー・ポピンズ(書籍)の原作者(エマ・トンプソン)を説得しようと試みる話。
この映画は実は、原作と実際の物語の二重構造になっている。そしてその真実がだんだんわかってくるほど、胸が締め付けられ、最後には涙が頬をつたい、止まらなかった。
『メリー・ポピンズ』という映画が、何十年も絶った今も色褪せず、繰り返し語られるのは、この作品の中にきっと、何か普遍的なものが存在するからなのだろう。
それを紐解くためのヒントになる映画だと言える。
★ウォルト・ディズニーの約束
http://ugc.disney.co.jp/blog/movie/category/walt

良心。

先週末にどこかで、PASMOの定期券を落としてしまった。
PASMOはいつも裸で持ち歩いていて右のポケットに入れていたのだけど、ある瞬間にそこにないことに気づき、鞄に入れたものと思っていたのだけど、月曜日に会社に行く時に見つからなかった。学生のとき以来、定期券など買ったことのない僕は、先日券売機で定期券を買えることを知り、その場で半年分(36000円くらい)の定期を買ったのだけど、3ヶ月分まるまる残ったまま紛失してしまったわけだ。
帰宅して上着やズボンなど、思いつく限りのポケットを探しても見つからず、「もう、二度と定期券など買うものか・・・」と思っていたら、友人が、「Suicaなんかだったら再発行できると思うよ」と教えてくれた。
火曜日に新橋の駅で再発行の手続きを済ませ、翌日に取りに来てくださいと言われた。その時に、「チャージされていた金額は、使われているものは戻ってきません」と言われ、僕も、「そうですよね。落とした僕が悪いんです」と話して駅を後にした。
水曜日の朝、8時前にiPhoneが鳴り、なんだろう?と思って出ると、原宿警察署からの電話だった。「PASMOが届けられていますので、受け取りに来た際に7272という番号を告げてください」と言われた。原宿警察は歩いてすぐなので、朝、そのまま行ってみると、僕のPASMOが無傷のままそこにあった(これはもう使用できなくなっているのだけど)。書類にサインをして、今度は新橋駅に行き、ことの次第を伝え再発行していただいたPASMOを受け取った。
帰り際に何気なく改札を通る時に新橋でPASMOの残高を見ると、チャージしてあった4000円くらいの残高は、そっくりそのまま残っていた。
僕はそこでちょっと驚いて、「日本って、まだまだいい国だな」と思った。
僕の中では勝手に、そのPASMOのお金は、拾った人が何かで使っているのではないかと思っていたのだ。そんな風に人を疑ってしまっていた自分が、なんだか恥ずかしく思えた。
『良心』というものは、人が生まれながらに持っているものであろう。それは人に教えられるものではなく、人生の中でそれぞれが守ってゆくもののように思う。
嘘をついたり、人を傷つけたりした時に伴う罪悪感を、『良心の呵責』というけど、人間がその心のありように、きちんと名前を付けて明確にしてきたこともすごいと思う。
PASMOを拾った人は、誰にも知られずにそのPASMOでコンビニで買い物も出来るし、タクシーで支払うことも出来るのだ。
でも、僕のPASMOを拾った人は、自分の名前や住所も告げずに警察を後にしていたので、どんな人だったか分からない。けれども、『良心』のある人だった。

ワン チャンス

『プラダを着た悪魔』の監督と、『最高の人生の見つけ方』の脚本家が組んだ映画『ワンチャンス』は、じんわり涙が出て、たくさん笑わされて、最後には胸がいっぱいになる映画だった。
ウェールズの田舎町で携帯ショップに勤めている中年男が、昔からの夢だったオペラ歌手になろうと奮闘する話。
主人公は昔からいじめられっ子で、気が弱く、太っちょで、歯並びも悪くて、いかにもモテそうにないのだけど、小さな頃からバカがつくくらいオペラが好きな、心のやさしい男。
そして、その主人公が恋をする女の子が、これまた少し太めで、決して美人とは言えない感じで、これまた全くモテそうにないのだけど、観ているうちになんだか少しずつ好きになっていくような気持ちのいい女の子。
実話に基づいているせいか、この冴えないふたりの恋愛物語は、『もう、美男美女の恋愛物語なんて糞食らえ!』って思えるくらい感情移入出来るし、親子の葛藤やら、夢に向かって挑戦する姿は、見ていて涙が溢れる。
人生における挫折。親子の愛。夫婦の愛、夢、勇気…
映画を観終わる頃には、たくさんの宝物をもらったように、心が温かく幸福感で満たされているだろう。
『ラ・ボエーム』『トスカ』『道化師』『アイーダ』からの素晴らしい曲の数々と、溜息の出るような美しいヴェネツィアの景色に、オペラにあまり興味がない人でも惹きこまれるに違いない。
★ワンチャンスhttp://onechance.gaga.ne.jp/sp/