渚のふたり

Facebookで、ポルノスターになりたかったというセックス狂の若い子と繋がっている。その子が先日、『love is illusion』と書いていたので、「本当にそうだろうか…?僕はそうは思わない」とメッセージを書いた。
そもそも、FBで、なんでそんな人とつながっているのか?と疑問もあるかもしれないけど、僕はそんな若い子にとても惹かれるのだ。自分に正直に生きて、自分なりの真実をつかもうとしているに違いないと・・・。
韓国映画『渚のふたり』は、視力と聴力を失っている夫ヨンチャンと脊椎障害で小柄な妻スンホのドキュメンタリー映画。
ふたりのコミュニケーションは主に、指点字(両手の6本の指を点字の6つの点に見立て、指で点字を打つこと)で成り立っている。
ヨンチャンがご飯を食べるときは、そのお皿の位置と何が入っているのかをスンホが指で教える。
寝室の蛍光灯が切れた時は、ふたりで協力してやっとのことで取り付ける。
外を歩く時は、背の高いヨンチャンがスンホの肩に手を置き、ふたりはぴったりと一つになる。
目が見えなくて耳もはっきりと聞こえないヨンチャンは、スンホを通して世界を感じとることが出来る。
ふたりはいろいろなものを触りながら確かめる。俳優の動きも、波の冷たさも、松ぼっくりも、雨が降って雷鳴が轟く中で、雨のしずくをふたりでそっと手のひらで感じながら、「雨の雫は柔らかい」と表現する。
彼らを見ていると、お互いをこれほどまでに必要とし、必要とされている関係がうらやましくさえ思えてくる。きっと彼らは、「顔が好きだから」とか、「身体がタイプだから」とかといったことではないところで、深く結びついているのだろう。
これを、『愛』と呼ばずに、何が『愛』だろうか?
ヨンチャンとスンホ、お互いが思いやる気持ちほどリアルなものが、この世界にあるだろうか?
★渚のふたりhttp://nagisanofutari.jp/

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