ほんとうに必要なもの。

もう10年くらい誰も住んでいない家を売るので、荷物があったら取りに行きなさいという電話が母からかかって来た。
その家は、僕が大学の頃に暮らした家で、そこを出て20年近くになるかもしれない。久しぶりに自分の部屋に入り、積み重なった本や古い洋服、美術学校時代の作品、夥しい数の写真を見て途方に暮れた。
本は、一冊一冊見たらきっと読み返したいものは見つかったと思う。多感な時代をともに生きた本たちなのだ。
洋服は一瞥しただけでまったく不要だというのはわかる。古着やデザイナーズ全盛の時期だったのだけど、当時は高かったヴィンテージの古着も、今になっては着たいなどと思わなくなってしまった。
学生の頃の作品も、それらは取っておくものではなくて、その当時学んだ日々がそのまま形になったものに過ぎなかった。
さて、一番捨てるのが難しいとされている写真をどうするか。海外の色々な場所に旅行をした時の写真や学生時代の写真といったら半端な量ではなく、およそその場で見ながら整理する気力も失せてしまい、1枚も拾い上げず、すべて無くなってしまってもかまわないと思ってしまった。
この小さな家で、母と暮らした様々な思い出はいつまでも忘れることはないだろう。
飼っていた犬が亡くなった時のことや、母が病気をした時のこと、両親が離婚をして一番大変だった時代のことを、この家とともに思い出し、いつも僕を守ってくれた母のことを考えた。
結局、昔の家に行って僕が持ち帰ったものは、自分が生きてきた日々の思い出だった。
そして新たに、今暮らしている家にある様々なものを、もう一度整理しようと決心するに至った。
自分にとって、必要なものは、いったいなんなのか?
ほんとうに必要なものだけに囲まれて生きる暮らしに、少しずつ近づけるように。

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