イメージ。

先日、ふと気づいたことがある。
昔、映画『シングルマン』を観た後のこと。映画の中で、コリン・ファースと若い恋人が、長いソファで向かい合って座っていて、お互いに別々の本(うる覚えだけどコリン・ファースは、ジェーン・オースティンの『高慢と偏見』のような硬めの本、若い恋人は、柔らかめのカポーティの『ティファニーで朝食を』)を読んでいる。
コリン・ファースは、若い恋人の読んでいる本を、ちょっと小馬鹿にしている感じだけど、そんな何気ない日常の一場面が、二人にとってかけがえのない幸福な時間だったということを感じさせてくれる名シーンだ。
このシーンを観て、当時独りだった僕は、『ああ、あんな、なにげない日常が、ほんとうの幸福なんだよなぁ』としみじみと思った。
そしてなぜか、次の恋愛は、自分がソファに足を投げて二人で向かい合って座っていて、お互いに好きなことをやっている。若い恋人は、こんな感じで(これはかなりリアルに)と何となく思い描いていた。
前に、Kが東京に来た時に、自分がシングルマンの映画と同じことをしていることに気づいた。ソファにKと二人で向かい合って座っていて、僕は海外の小説を読んでいて、Kは・・・・・・『未来少年コナン』を読んでいた(笑)
自分の頭が真っ白な状態の時に、思い描く確かなイメージ(意識)は、少し時間をおいて実現されるということが、いくつかの本で描かれている。
それが、本当かどうかは分からないけど、人間は、早く移動することを思い描いて、自動車を発明したし、空を飛ぶことを思い描いて飛行機も生まれた。そんなことを思うと、人間の意識というのは、現実の世界を少なからず作り出していると言ってもいいかもしれない。
僕とKのことなんて、「そんなの映画の観過ぎだよ」と思うこともできる。でも、もし、人間の思い描くイメージ(意識)が、ちょっと時間をおいて現実化してゆくのなら、こんなに面白いことはないと思う。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です